人生・自意識・凡庸さ

長い間、凡庸未満であることに劣等感を抱いてきた。

誰でもができることができなくて、誰でもが知っていることを知らなくて、誰でもが経験していることを経験していなくて。

だから、どうにか乗り越えようと歯を食いしばってがんばってきた。どうせ自分には無理だと思ったことは割り切って、少数のことに特化した。そうしたら、その勢いで普通の人をぶち抜いて、優秀な人みたいな顔をできるようになった。並みの人たちの間では一番優秀な立場を確保できて、それで優秀な人たちがたくさんいるところに属することもできた。

だから勘違いしちゃった。凡庸さを超越できるかもって。ひとかどの人物になれるかもって。

でもそんなことはなかった。調子に乗って、世俗的なことに人並みに手を出してみたら、ぜんぜん手が回らなくなった。社交的な生活をしたり、趣味を持ってみたり。いままでいろいろ捨ててきた分のアドバンテージがなくなった。みんな、こうやってやりくりしていたから中途半端だったのね。そんな中、一人だけ一つのことを朝から晩までやっていたら、そりゃあ人よりできるようになって当然だったんだ。

それに、みんなは人生というマラソンを走っているわけだから、そこで短期集中のスプリントしたら追い越せるのも当たり前だった。でもだんだん息が上がってきた。足がもつれそうになってきた。優秀な人たちは悠々と突っ走っている。まだいまは走った分の貯金があるけど、だんだん取り残されて、凡庸さの中に落ちていってしまいそう。

いままで、人生に幅があることを知らなかった。人生に長さがあるんだって感覚を知らなかった。一歩先だけを見て必死で進んできた。でも、顔を上げて、前を見て、左右を見ると、人生でやりたいことはいろいろある。いままでは単にすっぱいブドウでやせ我慢をしていたけど、本当は楽しいこともしたいって気づいちゃった。その楽しさも覚えちゃった。それに、長丁場だから完走できるようにペース配分をしないといけない。そうしたら、凡庸な生き方にしかならない。

ばかみたい。お年玉を一月に使い果たしていいなら小さな子どもでも背伸びできるのは当たり前じゃん。あるいは一点集中でつぎ込むなら、そこでなら贅沢な思いをできるのは当たり前じゃん。

でも、そうやって自分の中での要求水準を上げてあげて、限界まで上げてしまった。あるいは他者から優秀なように見られることを前提にしてしまった。いま、そのことに首を絞められている。

「もういいじゃん、上を見るのはやめて、身の丈にあった人生を送ろうよ。そうやって必死に生きているの、つらいでしょ?」そんな声が聞こえた。ふりかえると、凡庸さが口を開けてこっちに迫ってきている。声を振り絞る「いやだ、そんなのは認めたくない! 自分は、きっと、きっと、何かになれる。なれるはずなんだ……。」