「練習は本番のように、本番は練習のように」という言葉がある。とても的確な言葉だと思う。練習は本番だと思って全力を出さなくては意味がない。逆に本番は、練習のつもりで気楽にやったほうがうまくいく。
でもこれは、練習と本番に限った話ではないと思う。
きっとあなたも、他人の手伝いだとやけに生き生きと楽しくできる経験がないだろうか。「隣の芝は青く見える」というやつだろうか。それに比べて、自分の仕事はいやなことばかりが気になってしまう。自分事はよく見ている分、粗が見えやすいのかもしれない。あるいは、自分のことに対しては他人からの評価が気になってしまう。失敗を恐れて減点法で考えてしまう。
大事だと思えば思うほど、手がつけられなくなる。しっかりやらなくてはいけないと思えば思うほど、気が重くて逃げたくなる。気の重さに耐えるだけで何もしないまま、一日が過ぎてしまう。一週間が過ぎてしまう。そうして、どうしてもっと余裕をもって取り掛からなかったのか、と自問する。その罪悪感でますます心が重くなる。
だから対策をしようと思う。付箋で目立つ場所に貼っておく。ロック画面に表示する。タスク管理アプリを入れる。けれどそんなことをしても、どれも決してうまくいかない。当たり前だ。もとより一秒たりとも忘れてなんていないのだから。
問題は、そのタスクを軽んじていることではない。本番の舞台を前に緊張しすぎる人に、当日朝寝坊しないコツを教えても意味がないのと同じくらい的外れだ。問題は、そのタスクが心の中で直視することのできないバケモノにまで膨れ上がっていることだ。「大事だ」「絶対にやらなきゃ」「これが最優先」と思えば思うほど、対策法を考えてあがけばあがくほど、この落とし穴に深く飲み込まれてしまう。「十分に出来っこない」「遅すぎる」「これすらできないなんて」そんな言葉がこだましてしまう。
他人を動かすのは難しい、とよく言われる。たしかにそうだ。頼み事をする時には、一から十まで必要なことは全部伝えないといけないし、それでもよくすれ違いが起きてしまう。でもときどき、自分を動かすほうがもっと大変に感じる。ただこの一通のメールを開いて、受け取った旨を伝えるだけ。ただこの期限の切れてしまった公共料金の支払いをするだけ。5分でできるし、何も難しいことはない。誰かに怒られることもない。自分の指先を少し動かすだけでできるのに、なぜかできない。
これが他人の仕事だったら、簡単にやってあげられるのに、と思う。他人事なら建設的になれる。他人事なら余計な心配をしないでいられる。他人事なら客観的であれる。うまくいかなかったとしても、代わりのやり方を考えられる。完璧にはできなくても、前向きにとらえてあげられる。他人だったら、優しく励ませる。どうして同じことが、自分にはできないのだろう。
こうやって「どうしてできないのか」と考えることによっても、さらなる深みにはまっていくだけだ。そこには「本来はできるはずだ」という前提がある。そして「それなのにできないのは何か障壁がある」「それはよくないことだ」という推論と判断がある。
おそらく、必要な第一歩は、「なぜかはわからないが、これは軽いことではないようだ」と、そのまま価値判断なく受け入れることだ。足を骨折しているなら、元気な人間が階段を駆け上がっているのを見て、それができない自分について思い悩むのは建設的ではない。心は骨折していてもわからない。だから、階段を登るのは少なくとも自分にとっては非常に難しいという事実をただ飲み込むしかない。なぜ階段を登れないのか、と思って後ろめたさをさらに膨らませるのは馬鹿げている。「少なくとも自分にとっては非常に困難なのだ」と認めることで、不必要な負い目を感じないようにしなさい。それが、「プライドを捨てる」という曖昧な言葉の意味するところなのだろう。
そうなのであれば、何度も登ろうとして転げ落ちて怪我をするのではなく、エレベーターを使うなり、遠くても回り道をするなりの対応をするしかない。いまの自分にできないことなのであれば、誰かに頼めればそれでもよい。そうでないなら、もう覚悟を決めてあきらめるのが最善かもしれない。そう決断してしまえば、いつまでも頭の中で罪悪感に苦しめられているのも少しは軽くなるだろう。そしていまできることをするのだ。「できるはず」という思い込みから離れて、現にできることを先入観なくやるのだ。
こう言うと語弊があるが、ときどき、もっと無責任になれたならどんなにいいことかと思う。やるべきことをほっぽり出して平然と遊んでいられるあの人のようになれたらと。やらなきゃいけないと思いすぎて徹夜して、ご飯も食べず、でも朝日が昇っても白紙のままで、けっきょくできない。何一つ楽しいことはないのに、やるべきことをできていないのは同じ。それだったら、外に出て日光を浴びて、体を動かして、健康な食事と睡眠をとったほうがよほどいいのにと。罪悪感なんて煮ても焼いても食えないものなのだから。