感謝されることに気をつけなさい

感謝されることに気をつけなさい。それはあなたがあなた自身の人生ではなく、他人の人生を生きた印だから。

感謝されるのは、危険なことだ。だれかのために時間を使って、いたく感謝されて、それで他のことはたいしてしないままで日が暮れて、ああいい一日だったなと心地よい疲労感に浸る。なんとなく、それでいいような気がしてしまう。うん、今日は有意義な一日だった。よかったよかった。

「でも、本当にそうだろうか?」 人に感謝されたら、必ずそう問い直すように気をつけなさい。あなたが助けたその人は、今日その人の生きるべき人生を生きた。あなたは、その人に負けないくらいあなたの人生を生きただろうか。その人助けは、あなたの人生にどういう意味を持つだろうか? その経験は、あなたの将来の糧になるだろうか? あなたは、あなたの時間を安売りしていないか?

もちろん、人のために何かをすることを否定するわけではない。困ったときはお互い様。人間社会は相互扶助によって成り立っている。あなただってきっと他人に助けられているから、その分は少なくとも他人のために役に立たなくてはならない。それに、人助けが将来どう自分を救うかわからないから、役に立てるときには積極的に人のために働くのも悪いことではない1。それでも、まずは自分の人生を生きなくてはならない。感謝するよりもされることがだいぶ多いなら釣り合いが悪い。もっと自分の時間を大切にするか、あるいはもっとたくさん人に頼みごとをして帳尻を合わせるべきだ。

感謝されるのは気持ちいい。人の役に立つのは気持ちいい。自分が価値ある存在に感じられる。それに、普段と違うことをするのは気分が新鮮で楽しく感じられる。だけど、本当にあなたがやるべきなのは、いつもと同じあなた自身の仕事。それは往々にしてだれにも感謝されないこと。だって、あなたの仕事は第一義的にはあくまであなた自身のためになることであって、他人に直接的には役にも立たないことも多いからだ。だから、自分で自分に感謝することを学びなさい。そして、それを他人からの感謝よりも大事にしなさい。だって、あなたの人生を生きるのは、あなた自身をおいてほかにいないからだ。こんなのは陳腐な台詞だけど、本当のことに違いない。

他者にはあなたには知ることすらもできない当人なりの生きるべき人生があって、あなたはほとんどそれに関与することはできないという事実を認識しなくてはならない。友人でも、家族ですらそうだ。

他者の感謝をそのまま自らにとっての価値として取り込むのは、自らには自らの生きるべき人生があり、他者もまた同様であるという、棘のある現実を認識しない態度だ。自他の境界が不明瞭。あなたの幸福はあなたの幸福、わたしの幸福はわたしの幸福。そうやってちゃんと峻別しないで、まぜこぜにしてしまうのは、他者の人生に土足で上がりこむ不躾さと地続きだ。自分の人生の価値を他人に依存しているから、他人の決断や言葉、あるいは思考に干渉しないではいられなくなってしまうのだ。

世の中では半ば神聖視されている態度である「人の喜ぶ顔を見るのが幸せ」など安易に言う人々は、本音を隠しているか、何も考えずに響きのよい言葉を口にしているか、さもなくば弱くて、一人の人間として生きるということに正面から向き合っていない2。社会はあなたを隷属させ、使い倒したがっていることを見抜きなさい。そのために、親を喜ばせようと懸命になっている幼児のような、退行的生き方を美化したがるのだ。こんな欺瞞に騙されるのは、ものごとを考えていない証拠だ。それは、大人の生き方ではない。大人というのは、安易な承認欲求の満たし方をよしとしない生き方のことだ。大人というのは、自らの使命を果たす者のことだ。ことさら高尚である必要はない。ただ、他者の感謝などというどうしようもないものに依存してはいけない。さもないと、あなたも他者も不幸になる。きっとあなたにも心当たりがあるだろう。

他者の感謝に頼って自己を価値づけするのは、安易な逃げだ。自分の人生にはけっきょく何の価値もなく、ただ生きて、塵に帰るだけの存在であるのではないかという苦悩を忘れるためのクスリだ。「いったい、きみはどうやって自己実現をするのか?」、「その一度しかない人生をいかに生きるのか?」そうやって人生が突きつけてくる問いから遁走し、布団にくるまって他者のぬくもりに守られ、人生の道のりから目を背けるのか? きみは、力強く生きたかったのではないか。それなのに、こんな感謝中毒になって、禁断症状から逃れるため感謝を求め続ける、ゾンビのような人生で満足なのか。

だから、人に感謝されたとき、あるいはこれから人に感謝されるであろうことをするとき、それがあなたの人生でどういう意義を持つかを問い直しなさい。そしてときには、心を鬼にする必要もある。あなたの人生を守り、あなた自身が為すべきことをせよ。それこそがあなたに課せられた使命だ。忠実に果たせ。


  1. あるいは超越的な存在を信じて、人のためというよりはその存在のために仕えるなら、それはそれで他の人間にはあまり依存していないからよいのではないかと思う。

  2. もちろん、それが職務であり、その使命を果たしている場合は別だ。ただそれにしても、職業選択の際にそれが本当に自分のやるべきことなのかを吟味しないで、自己実現の苦しみ、自分の人生の無価値感から逃げた結果ではないかということに気をつけなくてはならない。