Q’s diary

生焼けの随想

Calling

"Calling"という言葉がある。世俗的な言葉では職業とかキャリアの意味に近いが、単にそれだけではなく、与えられた使命というような意味を持つ。

Callingは目先の承認のために骨を折ることとは違う。みんなにちやほやされて人気者になったとしても、かりそめの承認以外に得るものはない。だれかに必要とされるために生きることでもない。あなたにどこまでも頼ってくる人がいたとしても、その人を助けるために人生を費やすのは無為だ。組織の論理にどっぷり浸って、その内側での成功を追い求めることでもない。すべて、風を追うようにむなしいことだ。Callingが指し示すのは、人生のもっと大きく深遠な意義だ。

Callingに応えて生きることは受動的なように聞こえるかもしれない。しかし、実際にはまったく違う。人生は不確定性に溢れていて、将来のことは予測できない。考えてもみなかったような転機が訪れる。まして何十年のキャリアを描くことなどできるはずがない。そうした現実を謙虚に受け止めつつ、それでも志や目標を持って努力し、自分を高め、筋は通しつつ、しかし計画にとらわれない。そんな柔軟な生き方こそが、あなただけに与えられたcallingに応える人生だ。それこそが、人生における本物の能動性なのだと思う。

人生を設計しようとするのは愚かしいことだ。魚が何も知らずに漁師の網にかかることを不思議に思ったことなど一度もないだろう。ならばなぜ、いざ自分に突然の災難が降りかかると驚くのか。それが思い上がりだとわからないだろうか。人生は設計できない。サッカーの試合をあらかじめ設計して勝つことなどできないのと同じだ。もちろん、だからといってシュートの練習が不要なわけではない。たとえまぐれの要素もあるとしても、実力は如実に現れる。いつどんなcallingを受け取るかわからないからこそ、準備が欠かせない。それは、人生が設計できるという思い上がりとはまったく異なる。

「レールの上を進む」という表現がある。ありきたりな人生を生きることを指す言葉だ。しかしcallingはレールではない。むしろ、大洋を航海する船が時折発見する灯台に近い。航海中に常に灯台が見えているわけではない。島と島の間隔が広く空いていることもある。天候が悪化することもある。だから、先行きに不安が募ることもあるし、針路を見失ってしまったと落ち込むこともある。それでもときどき、霧が晴れて、次の灯台が見え、あなたを導いてくれる。そういう繰り返しで前に進んでいくのが人生だ。もしいつでも明確に見える目標を追い求めるなら、それこそ進むべき方向を誤ることだろう。

あるいは物事ではなく「この人のようになりたい」という気持ちが努力の原動力となることもあるだろう。そんなとき、誰を尊敬し範とするかを考えるときも、callingを胸に生きているかこそを軸にしなくてはならない。いかに社会的な成功を収めようと、魅力的なビジョンを語ろうと、カリスマ性に溢れようと、あるいはいかに地道に努力していようと、核に何らかのcallingがない限り、その人物の心にはドーナッツのように穴が空いている。心の穴があるからこそ、埋めるために尋常ではない努力を積み重ねる人もいる。でも、そういう生き方の導く先は行き止まりだ。行き止まりで滅びていく人たちを何人も見てきた。あなたはそうやって滅びてはいけない。

あなたのcallingはどこにあるか?