カコケイのカンケイ

人生を生きていると、いろいろなところで、いろいろな人間関係を築いていくことになる。初対面からはじまって、だんだん打ち解けていって、安定期に入り、しかしやがて終わりを迎える。引越しであれ、卒業であれ、転職・退職であれ。そして人間関係は現在形から過去形へと移行する。

それは、共通の過去によって結び付けられている関係だ。現在の所在ではなく、現在の趣味でもなく、過去のあり方に依存して成立する関係。過去の記憶がなくなったら、もう二度と生まれない関係。そういう関係は貴重なものである一方で、どうしても不自然さが伴う。現在の状況から半ば必然的に生じる関係性を自然林に例えるなら、過去の慣性によって生じている関係は人工林だ。手入れをしないと枯れ果てたり、あるいは繁茂しすぎる。


猫も杓子も「コミュニケーション能力」に夢中だ。人とつながる積極性、そして仲良くなるコミュニケーション能力、そういうものをみんながもてはやす。

でも、大切なのはそれだけか? 対人関係はその始まりがすべてなのか? もっと大事なのは、過去形になった関係を維持する能力、そしてときには解消する能力なのではないか。それは、物理的距離を超えてコミュニケーションをとり続けることができるこの時代にこそ必要な能力だ。

例えば、特別接点が多かったわけじゃなくて、一緒に長い時間がそれほど長かったわけじゃない人と、細く長く関係を維持していく力を大切にしていきたい。なにがしの同期とか、この仲間グループとか、集団で関係をくくるのは簡単だ。それに基づいた関係を継続するのも、定期的にみんなで集まっていればいい。でもそうではなくて、一対一の関係として、あなたとわたしの関係として、友人関係を維持していくことができたら、人生はもっと豊かになると思う。けっきょく、大事な話は複数人ではできないから。

あるいは、関係を一段トーンダウンして続けていくことも必要だ。もともとはしょっちゅう顔を合わせる仲だったとしても、やがて疎遠になるのは避けられない。けれど、疎遠になってもうおしまいというわけではなく、仕切り直しでほどよい距離の関係に調整してやりたい。なんだかんだ、よき理解者同士であれるはずだから。

そして、人と別れる能力も大事だ。ちゃんと別れないと、ずっとつながっていられてしまうからこそ。でも、別れ方はよくわからない。喧嘩別れがしたいわけじゃない。誰も教えてくれない。でも、もういいよっていう人間関係、あるでしょう。そういうのに付き合うのは人生の損失だ。友達と、知人と、別れましょうって言えるようになるにはどうしたらいいのだろうか。

けっきょく、人生の限られた時間で、優先されるべきは現在形の関係であって、過去形の関係は二番手だ。けれど、過去形の関係は人生でだんだん積み重なってくるものだから、うまく向き合う重要性は増していくことはあっても、減ることはないはずだ。