それでも葡萄はすっぱい

The fox who longed for grapes, beholds with pain
The tempting clusters were too high to gain;
Grieved in his heart he forced a careless smile,
And cried, ‘They’re sharp and hardly worth my while.’ 1

金、肩書、名誉、人間関係、どんなことにしても、手に入れてないものを「そんなものはどうでもいい」と口にするのはためらわれる。ひがみみたいだから。まさにすっぱい葡萄の寓話のとおり。

だけど、それはずいぶん不健全なことだ。だって、人生は選択の連続だから。「まだ手に入れていないものを、手に入れないことにする選択」を毎日積み重ねている。なのにそれを口に出すことはしない。給与水準を最優先にしないで進路を決めたら、それはとりもなおさず金はたいして重要じゃないという判断だ。けど、そういうふうに口にすることはあまりない。そうやって人生の価値基準について話すことに後ろめたさを覚えるようでは、社会がどうあるべきかを話すことができなくなってしまうし、個々人の人生に対しても歪んだ気持ちを抱かせる。

何事であれ、持っていないことと持っていることは同様に不自由だ。持っていなければ欲する気持ちに揺さぶられ、持っていればそのための骨折りを無為だったと思いたくない気持ちに囚われる。「手に入れてみたらこんなものはどうでもいいと分かった」一見すると肩の力が抜けたように見えるそんな言葉ですら、手に入れた事実を見せびらかさずにはいられない執着を浮き彫りにする。むしろ、手に入れてないものについて、あっけらかんと話せることこそ、自由な生き方に一歩近い。

だから、臆せずに言っていこう。「葡萄はすっぱい」と。