大学院生の独り言

学部生だったころ、きみと一緒に学食でカレーを食べた。カレー300円にするか、カツカレー400円にするか、よく迷ったものだ。ついでにサラダをつけるかどうかも、また迷ったものだった。そしてテーブルを囲んで、どうでもいい話をよくしたものだった。ときには将来についても話した。あのころは、いま思い返すと笑ってしまうほど純粋で、世間知らずだった。いや、私は今でも世間知らずなのだろうけど。

あれから何年も過ぎた。私は大学院に進学したけれど、きみは就職した。私はまだ成果を出せずにもがいているけど、きみはもう社会人になって何年か経って、少し大変な仕事を任されたり、転勤したり、後輩を指導していたりするようだね。どんな苦労があるのかは知らない。でもきみがSNSにアップロードする写真は、いつの間にか夜景が見えるレストランでのコース料理になった。誰と行ったのだろう。いや、そんなことはどうでもいい。いくらしたのだろう。そっちのほうが気になる。ぜったいに聞かないけど。聞いたって、どうせ自分に払える金額でないことくらい、わかっているから。

私はまだ同じキャンパスにいて、同じ食堂で、あのころと同じ席に座って、今日も300円のカレーを食べる。いや、ここは奮発してカツカレーにして、ついでにサラダもつけてしまおうかな。ああ、なんて贅沢しているのだろう。

ただ、一緒にテーブルを囲んでくれるきみがいないのがさびしい。いや、そうでもないかもしれない。もう、きみとは同じ景色を見ていないから。あんなに仲よかったのに、もう知らない人みたいに感じるようになってきた。たまに会っても、きみがする会社の話はたいしておもしろくないし、きみも私の研究の話には興味がなさそうだ。きみは大学院生は授業を受けてあとは遊んでればいいものだと思ってる。そうじゃないんだけど、ぜんぜんわかってない人に説明するのは大変だからあえてしようとは思わない。人生は夕焼け空に見上げる飛行機雲みたいなものなんだろう。どこかで交わることがあっても、またすぐに離れていってしまう。そして二度目に交わることはない。

一期一会という言葉は、先人の知恵なのかもしれない。サン・テグジュペリが書いたように、距離とか、別離の概念は、交通手段が発達するとともに変容した1。そして通信手段の発達によってもはやその意味をなさなくなったように思っていた。でも、時の流れが人を変えることは普遍的事実だ。離れてしまってもなまじつながってしまっているからこそ、むしろ残酷なほど、その変化を見せつけられることになる。

きみがどこかで元気にやっていてくれることを願う。わたしの大学院生活は、まだまだ長い。


  1. サン・テグジュペリ『人間の土地』