KEEP OUT

街を歩いていても、オフィスビルでも、駅でも、店に入っても、どこに行っても「関係者以外立入禁止」のサインを目にする。その度に考える。ここには何があるのだろう、もし関係者だったら何を知ることができるのだろうと。

世界のだいたいの場所は自由にアクセスできて、一部だけが入れないだけだと勘違いしていた。そうじゃなかった。むしろオープンな場所は世界の1割くらいしかなくて、残りの9割は「関係者以外立入禁止」だった。だから、どこかに入り込んでいかないと、どこかの「関係者」にならないと、世界のほとんどは知らないままになってしまう。

どこかに入り込むというのは、社会制度や経済や人間との関係にとらわれ、自由を失うということだ。けれど、何事にも制約されない完全に自由な立場のままでは、公園や河川敷以外のどこにも入ることはできない。帰る家を得るためにも、海を渡って異国の土を踏むにも、そのための資金を用意するための対価として自由を差し出さなくてはいけない。あるいは訪れれば顔見知りがいる酒場を作るためには、時間を使ってそこに繰り返し足を運ばなくてはならない。あのオフィスビルの窓からの景色を眺めるためには、その社員なり客なりに関係者にならなくてはいけない。空港のバックヤードに入りたければ、もっと限られた立場を得なくてはいけない。そこには知らない景色や体験がある。

とはいえ、それだってけっきょくほんの一部しか見ることはできない。世界という大きな家の廊下を通ることしか私たちには許されていなくて、出入りできる部屋はほとんどない。どんなに遠くに旅行しても、やっぱりほんの表層しか見られない。当たり前のことだけど、そのことがなんとなくわびしく感じられる。