約束は嘘の味がする

あることに誘われたけどちょっと気乗りがしなくて、その日は大事な予定があると嘘をついて逃れる。嘘をついたから、その日はうっかりインスタに矛盾する内容を投稿するわけにはいかない。他の人に週末の予定を話すときも、嘘をついた相手につながる可能性があるかを考えて慎重に答えないといけない。むしろ実際に大事な予定を作った方が楽な気がしてくる。

嘘は約束とほとんど同じものだと思う。噓がばれないようにするのと、約束を果たすのと、どちらも同じように責任を負うし、失敗すれば信頼を失う。どちらも、世界のあり方へコミットする行為だ。嘘は虚構へのコミット。約束は事実へのコミット。実はたいして変わらない。

むやみに嘘をついてはいけないし、同様にむやみに約束をしてはいけない。すればするほど、自由を失うから。逆に言えば、嘘を絶対につかないというのは、世界の現れ方に対する責任を一切拒否することだ。意思がなく、貫く筋もなく、勝手気ままに漂うだけの態度。何事も約束しない人と同じくらい、一切嘘をつかない人も実は度し難いのだと思う。

別の角度から見ると、この世界に何かを実現していこうという営みは、約束と嘘の両方を必然的に伴う。そして、もし嘘を徹底的に排除しようとする営みがあるのであれば、それは何かを実現するということからも徹底的に遠ざかることになる。これが、ビジネスとサイエンスの埋まらない溝なのだと思う。