たとえだれも見てなくても

うそをついてはいけない。それは人にバレて怒られたり嫌われたり不利益を蒙るからではない。そういうケースもあるだろうが、それはうそが下手なだけだ。そうではなくて、どんなにバレないケースでもうそをついてはいけない。なぜならあなたは必ずうそを知るからだ。あなたがうそつきだと知るからだ。

これは一般の悪行や善行に共通だ。誰も見ていなくても、気づかなくても、あなたはすべてを知っている。これは恐るべきことだ。さらに都合の悪いことに、そうしてあなたが知ることは、あなた自身と他人についてのあなたの見方を左右する。そしてそれは変えようとして変えられるものではないのだ。常日頃の行動の積み重ねによってのみ形成されるのだ。

あなたが悪行を重ねていれば、あなたは、あなた自身をそういう人間だと見るようになる。あなたはあなたのことを他人から尊敬されるに値しない人間だと思うようになる。それはあなたから前に進む力を奪う呪いだ。

加えて他人もきっとあなたと同じように生きていると思うのが人の常だから、他人もうそをつき、ばれないとわかれば悪行を働いていると思うようになる。この考え方は人生を台無しにする。他人を頼ること、愛すること、尊敬することができなくなる。

あなたが悪行を重ねれば、あなたはあなた自身と、それ以外のすべての人間を嫌いになる。どんな他人の優しさもあなたを救えなくなる。孤独にすらなれない。だってあなたはあなたと仲違いしているから。

だから、幸せに生きたければ、善い行いをすることだ。他人が見ていても、見ていなくても。そんなのはどうでもいいことだ。だって少なくとも自分は見ているのだから。そしてあなた自身を好きになり、それを通して全人類を好きになることだ。

裁いてはならない

あの人はバカだ。あの人は性格が悪い。あの人はキモい。あの人はチャラい。あの人は人生無駄にしてる。あの人は……。ああいう生き方は醜いよね。あいつファッションださいよね。あいつ調子乗りすぎてるよね。あいつかっこいいからって鼻にかけてるよね。あいつ就職負け組だよね。あいつ勉強だけできてもしょうがないよね。あいつ……。そうやって、人を裁いてはいけない。それは、その基準であなたが裁かれないためだ。

勘違いしないでほしい。他人がその基準であなたを裁くわけではない。そういうこともあるかもしれないが、それは言わないで黙っておけば回避できることだ。態度にも出ないようにすればいいことだ。それでもきっとバレるとかそういう話はここではしない。

そうではなくて、あなたはたとえ内心だけでも他人を裁いてはいけない。あなたの裁く心は、そのままあなた自身を裁くからだ。どんなに隠していても、あなた自身はあなたの心を知っている。

人を裁くことは、あなたの心の中に呪いを生み出すことだ。ああいう性格にはなりたくない。ああいう人生は送りたくない。ああいう態度はムカつく。ああいう行動は蔑むべきものだ。そうやってひとつひとつの裁きをするたびに、あなたはあなた自身の可能性を狭めている。どんどん選択肢を抹消している。それはあなたの自由と未来を投げ捨てる行為だ。

特にまずいのは、あなたの癪に触ることは、本当はあなたが望んでもできない酸っぱいブドウでしかないことがしばしばあることだ。しかしいまのあなたにできないからといって、未来のあなたにもできないとは限らない。なのに呪いの言葉を心の中で唱え続けると、未来はどんどん固定されていってしまう。人間には一貫性を求める心理があるからだ。

だから、人を裁いてはいけない。それはあなた自身のためだ。

人生一万日を振り返って

このポストは、ここではない場所に投稿した文章をわずかに改変したものです。一つ付け加えると、こういう自分の過去や内面をひたすら掘り下げることは真似しないほうがいいです。すごく心が乱れます。そんなわけないじゃんって思ってやったら見事に乱れました。自分で書いている文章のはずなのに、逆に圧倒されてしまうのです。この文章はもともと少し前に書いたものでもう大丈夫なのですが、ブログ用に改めて編集しているだけでも吸い込まれそうになるので、表現の修正とか文脈の補足とかはこのあたりで打ち止めにします。くれぐれもお気をつけください。

以下本編


しばらく前に、生まれてから27年と4ヶ月と18日、つまり人生の一万日目を迎えました。それにあたって、私がどのようにここに至ったかについて振り返って書いてみたいと思います。読んでも何も足しにならない上にただの自分語り案件です。また、ほぼ全体にわたってひたすらネガティブなことを書いてるので気分を悪くされるかもしれません。まともに読むとたぶん30分以上かかります(3万文字)が、書くのはたぶん百時間単位でかかったのでよかったらゆっくり読んでください。まあ、長いと言っても0.06ドグラ・マグラなのでごく短いとも言えるかもしれません。

1. Prologue: A white lie

さて、私は現在大学院修士課程の二年目なので、冒頭に書いた生まれてから27年という時点でいわゆる「ふつう」の道にはないことが明らかです。日本で一番早いペース(特殊なケースは除く)で進学してきた場合よりも+4歳ということです。4年という時間は短いようでいてばかにならず、私と同じ年の生まれでもふつうに大学を卒業して働いた人はもう一部が転職や結婚、はては出産・育児を経験していたりして、人生のずいぶん先のステージまで進んでいるように見えます。

でも私がそんな歳であることは一部の勘のいい人を除いて意外とみんな気づかないようです。黙っていたらそんなに聞かれないし、そうしたらだいたいは気づかれません。それはきっと、見かけが大人びていないからかもしれません。服装とか髪型とかの問題ではなくて(それらが大人びていないのもまた事実なことは認めますが!)、顔ににじみ出る年輪の問題でしょう。岩石が風雨や寒暖差で風化してだんだんその形をなしていくように、生きることのよろこびと厳しさに彫り込まれて人の顔はそれぞれの歴史を映すようになっていくから、空っぽの年月だけを過ごしても年相応の成熟は得られないのです。

「(年下だけど学年が上の)先輩」に、「若くていいねえ」と言われたり、「(年下の)同期」が「ああもうxx歳だね私たちおばさん/おじさんだね」とか言うたびに、あいまいな笑いでごまかしていました。こういう話はただの取っ掛かりか共感目当ての形式的なやりとりだから、予想外のマジレスは決して求められていないのです。あるいは人に年齢を聞かれたときには本当のことを言うかさばを読むかで逡巡するのも日常的です。うそのつじつまが合うか、本当のことを言った後に当然聞かれるその背景を話したら会話が重たくなりすぎてしまわないか、口が軽そうな相手かどうか、などなど考えなければなりません。けれどそうやって黙ってやりすごしたり、あるいは小さなうそを重ねるうちに自分がだんだん穢れているように思えてくることもあります。自分の本当の素性や過去について沈黙するという態度そのものが、それらは封印すべきものであると負のレッテル貼りをする行為であるように感じられてしまうのです。けっきょく、好むと好まざるとに関わらず、年齢は強力なsocial constructであり、世の中が、そして自分自身が、自らを定義するときに欠かせない要素なのです。だからここで自分について、過去についてぶちまけてしまおうというのが今回の趣旨です。匿名性が一応あるとはいえ、知っている人が見たら誰のことか特定するのは容易だと思いますが、まあいいとしましょう。

なんて言っても、実際のところ「ふつう」より4歳くらい年上の人なんて世の中たまにいます。別にそこまでびっくりするほどのことではありません。しばらく働いてから他のキャリアに進むとかも珍しくないし、特に近年は多様化しているかもしれません。だから、これだけならたいしたことではありません。聞かれたら「4年間はなにがしをしていました」と言えばおしまいで、会話のネタとしてはむしろしょぼいくらいです。……でも、そうじゃないのです。だって、何もしてなかったのですから。まったく何も、です。4年間だけじゃありません。そのはじまりは21年前に遡ります。

2. Twenty one years ago

6歳のとき、私はいわゆる不登校になりました。そしてそれから10年以上、学校にはただの一歩も足を踏み入れませんでした。二度と小学校には行かず、中学校にはただの一回も行きませんでした(「卒業」した4年後くらいに卒業証明書を取りに行ったのが最初で、そしてたぶん最後でしょう)。勉強に類することも一切しませんでした。家族・親戚以外の人とはほとんど会話しませんでした。友人なんてゼロ人でした。……そこからここまで、ふりかえれば長い道のりでした。10年以上、時間が凍りついていました。檻に閉じ込められていました。自分という檻に。他者を拒絶する自分という檻に。それが何だったのかははっきりとはわかりません。外に現れる症状としては場面緘黙というのがあてはまる気がします。17歳だか18歳だかのころに医者からもらった診断書には「社交(社会)不安障害」と書いてありました。略称でSADとも呼ばれ、対人恐怖症と類似した意味です(というか私には違いがわかりません)。医学書を読み解くと、人前に出る場面で「人からネガティブな評価を下されるのではないか」という不安や恐怖が非合理的なほど強く、それにより社会的な生活ができなくなったり、困難になったりする精神的な病気、だそうです。おおむね当たっているような気はします。そういう場面はたくさんありました。診断書をもらったころはもうずいぶんその症状が弱くなっていたころですが、もっと前の時期は本当にどうにもならないほどの不安にとらわれていました。

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図:いわゆる「ふつう」の人生とわたしの人生。もちろんこうやって安易に学年に還元する発想はちがうということはわかっていますし、ふつうっぽい人でもしばしばこれから外れることは知っていますが、あくまで概略図として。

あるいは不安という言い方は適切ではないかもしれません。そんなに不安を覚える必要がないことは自分でもわかっているのです。脳の理性的な部分は状況を正しく認識しているにもかかわらず、他の部分(直感的な? 本能的な? 部分)が自分を沈黙と硬直に追いやってしまうのです。ただ人と向き合っているだけで、まるで銃を突きつけられているかのように自分が凍りついてしまうのです。ほんとうは何も恐れる必要はないとわかっているのにもかかわらず。特にそれが言葉を発するという行為について顕著で、そのために外で人と会話することはほとんど不可能でした。外の世界との間に厚いガラスがあって、その向こう側に世界が存在するようでした。どんなに言葉を発して接点を持とうとしても、気づいてもらおうとしても、叶わなかったのです。いや、むしろ気づいて欲しくなかったのです。透明人間でいられないことが怖くてたまらなかったのです。あるいは鍵穴からの観察者でしかいられなくて、自分にまなざしが向けられることに耐えられなかったのです。でも、本当に透明でいたかったわけじゃありません。不安、孤独、空虚、拒絶、忌避。それは何年も何年も続きました。

じゃあそもそもなんで不登校やそのような精神状態になったのかというと、そのきっかけははっきりしません。不登校事例のほとんどは小学校高学年以上で発生しているはずですから、典型的な事情にあてはまるわけではなさそうです。実際、いじめられたとか、教員と合わなかったとかいうことは記憶の限りありません。はじめのころはクラスメイトとも会話できていて友達関係もあったように思います。まあ100%うまくいっていたわけではないかもしれませんが、いかんせん昔のことで思い出せません。ただ少なくとも確実なのは、学校に行かなくなったあとの時期には学校関係のものが嫌悪と恐怖の対象であり、家族や親類以外一切の他人も同様であったということです。話さなければ外に出ることは不可能ではないのでまったくの引きこもりということではないものの、社会的な生活は完全に失っていました。

何をしていたかというと、端的に暇を持て余していました。PCが与えられていたので、ダイヤルアップ接続のWindows 95でネットにつなぎ、ネットを巡回したりゲームをしたりしていました。時間ならいくらでもあったので、くだらないことや小難しいことなどあれこれ読んでいました。場所や商品など何か気になることがあるとネットの海を飲み干す勢いで徹底的に調べあげてみたりもしました。某掲示板で特定のことについて過去ログを探して何十スレッドも発言すべてに目を通して情報収集したこともありました。とことん調べつくせば直接は知らないものごとでも案外体系的な知識を構築できるものでした。海外のゲームを英語がまったくわからないのにひたすらいじり倒してマスターしたり、プログラミングをかじってみるも特に作りたいものがないことに気づいてがっかりしたりもしていました。もっと何か作ったりスキルをつけておけば役に立ったのになといまさら思ったりもします。とはいえいろいろやったおかげで多少古いものの今になって知識が活きている部分もあります。 10年もあったらそんなちょっと役立つ知識以上のものが得られてたはずなのに、なんて後悔はしても仕方がないのでやめておきます。

こんなことをいうと家でお気楽な時間を過ごしていたように思うかもしれませんが、少なくとも主観的にはそんなことはありませんでした。とても生きづらい日々でした。たとえ親類であっても、大人は口を開けば「いま何年生?」と聞いてくる。平日の昼間に外を歩けば、子どもはみな学校にいて街にはいないから、脱獄した犯罪者にでもなったような気分になる。家にいても宅配便が来るたびに居留守を使い、見つかったら殺されるとばかりに、物音一つたてないよう息をひそめてやり過ごす。どこにいても居場所がない。自分がいることが許される場所がない。だって学校に行っていないのだから。みんな行くところに行っていないのだから。それが罪深いこと、「いけないこと」である空気に包まれて、この世の中はパノプティコンを成しているのです。でも学校には行けない。どうやっても行けない。同世代の子どもがテレビに出てくるだけで目を背ける。外で人に話しかけられても、言葉を返すことができない。自分の思考や感情を表現することができない。自分が存在することができない。人の世は言葉で編まれているから、言葉を発せないものはどうしようもなく社会から隔絶されるのです。社会の中にいても、存在しないのです。そんな毎日。終わりのない毎日。永遠。

12歳くらいまではきわめて変化が少ない年月でした。親に連れられて以外で外出することはほとんどありませんでした。あっても、外の人と接触するのは精神科の医師とカウンセラーくらいなものでした。そしてそこでも、わたしはいつまでも沈黙していました。少しだけ心の氷が解け始めたのは13歳くらいだったように思います。このころ、動物とかかわるようになりました。動物は、人間と違って言葉を持たないから、好きでいられたのです。余計なことを言ってこないし、探ってこないから。そんなわけで、飼っていたわけではありませんが、近所に溜まり場があった野良猫たちと仲良くしていました。たぶん犬よりも猫のほうが合っていたのでしょう。こちらに強い関心を向けてくる犬よりも、気ままな猫といるほうが気が楽なのです。ゆるくつながっていて、必要以上に干渉しない関係性。それは自分が求めていたものでした。毎日そこにいて、数時間を過ごしていると、猫たちの中で自分がそこにいて当たり前の存在になれて、仲間として受け入れられた気がしました。でも、その周りにいる人たちとはかかわりたくありませんでした。当然のように、その人たちとは一言も話していませんでした。いまから思えば何をそんなに気にしていたのかと思うばかりですが。三年後くらいのあるときにその近所の人との関係が一方的に気まずく感じてぱたっと行かなくなりました。

その程度の変化しかないまま、せいぜい外出する頻度が少し高まった程度で年月が過ぎていきました。16歳くらいで(小さい頃いったん乗れていたけどその後10年近く乗らなかったせいで乗れなくなってしまった自転車に親についてもらって乗れるようになり)自転車で一人で外に出るようになりましたが、相変わらず家族や親戚以外の人と関わることはほとんどありませんでした。状況はある意味では悪くなっていきました。学校の勉強はあまりに学校そのものと結びつきすぎて直視することもできなかったので一切手はつけられず、どんどん復帰できるチャンスは減っていくように感じていました。それに、人からどう見られるかを過剰に気にする病気だったのですから、何年も何年も欠席して、戻るハードルはどんどん高くなっていきます。あらゆるものを経験していないで、そこから急に戻って、いったいぜんたいどう見られるのでしょう、扱われるのでしょう、何て言われるでしょう。その心配が現実に即したものだったかはわかりません。でも少なくともそう感じたことは私の現実のすべてでした。 もう、手遅れだと感じていました。そもそも、もう書類上中学生ではなくなって、何の所属もないままで年月が流れていました。このくらいの年齢までに、子どもというのはもちろんまだまだ幼くありながらも、急激に成長しているはずですが、何一つ実感できないでいました。時間の流れがあるのかないのかもわからないくらいでした。

3. For the first time in forever

けっきょく、基本的に何も変わらないまま10年以上が経ちました。これだけであまりに信じられない字面です。0代(?)から10代の10年間なんて、永遠に等しいではないですか。今日も、明日も、1週間後も、1か月後も、1年後も、ほとんど予定や他人と接する機会がない生活でした。寝て、起きて、ごはんを食べて、残りの時間はPCに向かうか、あるいは本でも読むか、といった生活。時間がたっているのか、時間がたっていないのか。成長しているのか、していないのか。生きているのか、生きていないのか。何もわからない生活。目標のない生活。空っぽの生活。それが、わたしの6歳か7歳あたりからの10年間でした。

そんな永遠を費やして、症状はほんの少しずつ改善されました。苦しみながらも人と話せるようになりました。でももうそのころには16歳17歳とかになっていました。ふつうなら高校生です。自分の時間は10年以上凍結していたのです。あまりに他人から遅れているという現実に直面するのが怖くなって、ひたすら目をそらしていました。将来、自分が何かできるとはとても思えませんでした。そしてそこから抜け出す手段を調べることすら、決してしたくありませんでした。

それがようやく変わったのは18歳くらいのときでした。一気に転換したわけではなく、自然とその時が訪れたという面が大きいですが、あえて理由を求めるなら祖母ががんで亡くなったことがきっかけかもしれません。14歳-17歳くらいまででしょうか、時間のあった私は比較的頻繁に祖父母の家や病院を訪ねる役割を負っていました。身体がままならなくなり、認知症にもなっていくさまを見ていて、命に限りがあること、時間を精一杯自分のために使わなければならないことを認識させられました。

それで学校に行っていない若者のグループのようなところに行くことにしました。ーーなんてあいまいな言い方をするのは嫌なので明確に書きましょう:精神科デイケアという主には統合失調症などで入院していた人が復帰する段階で使うところです。もともと通院していて、様子が目に入ったきっかけもあり、かつ他人と接する場として参加するハードルが低かったからです。それでも自分からそこに行くと決断するのは相当の決意が必要でしたが。反面、まったくの被保護対象として、対等な立場にない「病人」扱いに処せられることは釈然としなかったことも思い出します。「落ちるところまで落ちたな」と感じていました。そこは生ぬるくて、悲しい場所でした。自分にとって最初の居場所であったと同時に、けっして長期的な居場所にしてはいけない場所だと感じました。そもそも趣旨として社会復帰のプロセスで一時的に利用する場所なのだから当然かもしれませんが、外の世界――世の中、特に学校――で生きていける人から順々にいなくなっていく、さびしい場所でした。私の知らない世界に、私を置いて去って行ってしまうのです。あるいは状況が悪化した人はまた入院になって、そちらもまた私の知りえない世界に消えていってしまうのです。数人仲良くなった人もいましたが、その後どうしたのかは知りません。連絡先の交換は禁じられていましたから、これからもけっして知ることはないでしょう。あるいは福祉作業所で就労する進路を取った人もいました。それは私がいま見る世界とは違う世界。自分もそっちに行っていたかもしれないのに、いまの私はそういった人たちが同じ社会に存在するのをほとんど意識することもない日々を過ごしています。この世の中はなんて分断されているんでしょう。よく世の中狭いなって思うではないですか。所属、地域あるいは国境すら越えて予想外のところで人がつながっていることがある。でもそれって、いかに異質な人との間で社会が分断されているかの裏返しでもあるのです。異郷の地でも人は故郷と同じ月を見上げ、想いを馳せることができるのに、それでいて街角ですれ違う他人とでさえどうしようもなく隔たれているのです。

そしてそんな薄片に切り刻まれた世の中のいったいどこに自分が向かうのかがとらえづらかったことを覚えています。単刀直入に言えば、世の中で一般的な人たちの一員として、自律した人格として尊重されて生きる人生があるのか。あるいは社会的に消された人生になってしまうのか。それは被保護対象として管理下に置かれ、精神障害者という身分によって不可視化され、福祉という泥舟の上でいつなんどき支援の予算が削減されるのか恐れながら、主張する声も主体性も与えられず生きていく人生。そのどちらに私が向かうのか、当時はまったくわからないでいました。

あるいは、いまでもまだわからないかもしれません。時系列を飛ばしてしまうと私のまわりにいる人たちは、一言で言ってしまえば「うまくいっている人たち」、それぞれの苦労はありつつも光の当たる道を歩んできて、これからも歩んでいくのだろうなと思う人たちが大半でした。就活という場で戦うのはだれにとっても楽ではないにせよ、少なくとも参加資格はあり、しかも悪くない手札を持っている。だれもかれもが有名企業に就職するわけではないけれど、同じ業界を見ている就活生同士で会話したらあの企業ねとなるようなところには行くことが大半。収入も同世代の平均よりは高い。コンサルだの金融だの商社だの多すぎて世の中そんな仕事ばかりなのかと錯覚しそうになります。それはそうですよね。大学が単純に序列化され、その入試偏差値と就職状況が結びつくこの世の中で、大学進学者の中でもけっこう優秀な人たちとばかりつきあいがあったわけですから。でも私は表面的には同じ場所にいても、傷のあるリンゴなのです。高級なリンゴの箱詰めに、虫が食ったものは入れないでしょう。たとえ大きさの基準は満たしていたとしても。そんなものはキロいくらの飼料にしかなりません。どんな職業や地位につくかが人間としての価値を決めるものとは思いませんが、経済的には差がつけられているのは事実だし、それによって社会で中心を占めるか日陰に追いやられるかが決まることも間違いないことです。そして私は、どこに仕分けされるのでしょう。

そんな感傷に対してはちがうと思う方もいるかもしれません。「落ちるところまで落ちたもなにもない、精神疾患への理解と個人の尊重が足りない」と。同意します。だれしもが個人として尊重されるに値します。そうやって上とか下とか落ちるとかいう見方が不適切なことはわかります。ただ一方で、あなたが安全圏にいるなら、そこからきれいごとだけ言うのは偽善的です。自らのことをいずれにせよ「正常な人間」という安全圏の側にいると思っていて、その外側には境界線があるのが当たり前だと思っていて、そこからあぶれた人間に社会がどういう目を向けるかなんて他人事なら、なんとしても自分の「下」に線を引いて差異化しなければという気持ちはわかりっこないでしょう。ほかの利用者、特に一部の症状が重い利用者を見て、どうにかして自分を差異化しようとしていました。自分は夏の盛りなのに適切な服を選べなくてウインタージャケットを着てくるようなことはない。自分は強迫的に何回も何回も肌がぼろぼろになるまで手を洗わないといられないということはない。自分は同じ言語をしゃべっているはずなのに何一つ会話が噛み合わないということはない。そうやって「自分とあの人たちは違う」と線を引かなければと切迫感を覚えていました。それを証明できなければ一緒のところに追いやられ、辺縁化されてしまうという危機感がありました。なのに人と接する経験がなさすぎてとんちんかんな振る舞いしかできず、一日の終わりに記憶を反芻して「あのときあれをしたのは、ああ言ったのはおかしな奴に見られたんじゃないか」と思う焦燥感。「自分はただ不安感で話せなかっただけで、ほかの症状や問題行動があるわけでもないし、不安感ももうだいぶ消えていってる。あとは単に人と接する経験の蓄積の問題であって、自分はここの一部の人たちのような状態ではない」と信じるしか自分を守る方法がありませんでした。

皮肉な矛盾は、もう石と化してしまうほどではないとはいえ、どうしようもなく「他人からどう見られるか」、「変だと思われないか」に執着しているのに、絶望的な経験不足のためにうまくふるまうことができないから、正反対に「メタ認知に欠け、他者の視線を自覚できない者」であるかのような言動をしてしまうことでした。この苦しみはこのあとも長く続きました。

脱線してしまいました。時系列に戻ります。けっきょくここには週に1回2回程度の頻度で一年間行ったのみで、あまり長くは利用しませんでした。しかしきっかけとしてはとても重要で、将来につながるできごとがありました。他の人が通信制高校のレポートをやっているのを見て、これならできるかもしれないと興味を持ったのです。見てみたらなんとなくできそうな気がしたし、このころになると抵抗感も薄くなっていたので、じゃあ勉強してみようかと思うようになりました。しかしいざ勉強しようと思ってもいかんせんどこから手を付けたらいいものかわかりません。小学校一年生で止まっているわけですから。そもそも手で何かを書くということもろくにしていませんでした。書いてみると幼稚園児がクレヨンで書くみたいな字でした。そりゃあそうです。そもそも紙に字を書くということを10年くらい、6歳のときからほとんどしていないわけです。ペンを持ってひらがなやカタカナをまともに書けるようにするところからはじめなければなりませんでした。漢字は読めはしてもまったく書けなかったので一から練習しなければなりませんでした。計算もできませんでした。できたのは暗算だけ。暗算が得意だったというわけではなくて、筆算の仕方がまったくわからなかったのです。繰り上がりとかもわからないから、暗算といっても限りがありました。九九ももちろん知りませんでした。かろうじて四則演算はできましたが、割り算は掛け算の逆だということだけわかっていたから、適当にあたりをつけて掛け算してみて範囲を絞っていく、という程度。英語も何一つわかりませんでした。日常的に使われるカタカナ語はそれなりに慣れ親しんでいましたが、それ以外はからきしです。そもそも勉強し始めるまでは英語とローマ字表記の関係すらよくわかっていないくらいだったのです。自分で言うのもなんですが、ハタチに近づいてこれというのは振り返ってみても想像を絶するものです。小学校の教科書に目を通さざるを得ませんでしたが、特に低学年のものなど見ているといったいこの歳で自分は何をしているのかと吐き気がしました。

そういうことを半年くらいやって、せめて小学校範囲は始末しつつあるくらいのところで、不登校の生徒も受け入れている個別指導の塾を見つけてそこで中学校範囲の国数英をやりはじめました。数学ぜんぶはじめから。英語もアルファベットを書くところからはじめて、be動詞とかからやったわけです。国語はまあ読解はできたのでそれほど、という感じでしたが。当時19歳の4月。まだそのころはそのくらいの年齢の大学生が何をしているかわかっていませんでしたが、いまから考えてみればもうそろそろ大学でも先輩になって新歓とかして合宿とかあってあるいは留学とかインターンとかしつつあるころではないですか。その絶望的な落差を知らなかったことはむしろ幸いだったかもしれません。とにかくもう、どれだけ周回遅れであろうともやるしかない、やらないよりはましなのだからこの屈辱には耐えるしかない。そんな思いで歯を食いしばっていました。いままで一切勉強してなかったところからは一転してこのときばかりは詰めて勉強し、一年間で三教科の内容はほぼ完全に抑え、英検2級まではいけました。まあ一日中ほぼ英語と数学しかやらないわけだからそのくらい進んでも何も不思議はないですが。振り返って思うのは「ただ一つのことしかやらず、人付き合いを一切持たなければ時間は案外たくさんある」ということです。言い換えれば、社交性のある生活というのは相当に時間を食うものなのです。これほど極端な非社交的生活を知っている人はたぶんあまりいないでしょう。

4. こころみ

ある程度ここまでの学習が軌道に乗るにしたがって、目の前には分かれ道がありました。ここで一年勉強して何らかの高校に入って三年なりを費やしてその先に進むか、あるいはさらに一年ここで勉強して高卒認定(旧称:大検)を取って直接大学に行くか。前者を選べば5年遅れ、後者を選べば3年遅れ。しかし、ここで高校に行かないときっと後悔するなと思い前者を取りました。いまはよくても、10年後、20年後に、もう絶対に戻れないタイミングになってから、自分が学校生活というものを一切したことがないという事実はきっとじわじわと心を蝕むだろうと思ったのです。それに比べれば、周りと同じ年ではないにせよ、いま行けばまだいくらかの学校生活っぽいものを得ることができる。もちろん通信制とか定時制とかのシステムだから、典型的な高校のような強いつながりとか均質性は持ちません(むしろ持ってたらそんなところ私は入っていけません)が、それでもまったくないのとは違うだろうと思ったのです。加えて、高校は練習の場、失敗する場として必要だろうとも思いました。なにしろこれまでまともな人間関係を築いていないわけですから、いきなりそれがうまくできるとは思えません。大学で突然挑戦するのはさすがにむずかしいものがありそうだと思ったのです。だから、とりあえず高校に行っておいて、そこで失敗してもそのあと大学行ったときにうまくいけばいい、もともと行かなかったのだと思えばそこでひどく失敗してもダメージはない、という結論になりました。そもそも、このころ人生ではじめて自分のケータイに家族以外の連絡先が入ったほどだったのです。これが世間で「友達」というものなのかと思うとうれしくなる反面、それはやっぱり違うのではないかという気もしていました。そんなようではこのまま大学行ってやっていくのは無理だと思ったのです。……というかこれは現在でもそうです。「友達」という単語はなじみのない外国語の言葉を使っているかのような、概念を理解しているのか定かでない気持ち悪さを覚えています。友達って何ですか? どこまでが友達? よくわかりません。

閑話休題、高校に行くとしていくつか候補を検討した結果、とある定時制課程に行くことにしました。高校としてはずいぶんゆるいシステムだし、いまどき働きながら通っているという人はそれほど多くないものの生徒の年齢にも多少ばらつきがあったし、少なくない数が期間に違いはあれど不登校経験者ということで過ごしやすい場所でした。いわゆるふつうの高校と比べると明らかに小規模ながら、それでもいろいろな課外活動があったので半ば片っ端から関わりました。けっきょく、勉強がしたいなら別にここに来る必要はなかったわけですから、それ以外のことをすることに価値があると考えていました。そして自分がちゃんとメンバーとして(被保護者としてではなく)「認められる」感がうれしかったからです。あるいは自分に「やるべき仕事がある」ことがたまらなくうれしかったからです。だってそんなこと、いままで生きていて1回も経験したことなかったのですから。でもまだ人と関わるには全力でスイッチを入れて振る舞っていて、消耗してしまっていました。外にいて力が入っている間はいいものの、家に帰ってきて過剰な緊張が抜けるとぐったりして寝てしまって、深夜になってから再び活動してまた寝るような日々を続けていました。

そうやって学んだことはたくさんありました。ただ、そんなにうまくいったというわけではありません。むしろ盛大に失敗した面も強いように思います。無理もありません。当時20歳。最後に学校に行ったのは6歳のとき。その後、上述のデイケア以外にコミュニティに属する経験は一切していないのです。自分ほど経験が欠落した人間はあまりいなくて、案の定はじめてのまともな社会的な生活はそれほどうまくいかず、ただただ空回りしていました。振り返ってみるとけっこうやばいやつ、おかしなやつだったのだろうなと思います。1年目は何をするにもどうしたらいいかわからないことだらけ。学校で授業を受ける、ということ自体が14年ぶり、ほとんどはじめてみたいなものだったわけですから。そして理科実験とかも当然やったことないし、体育なんかも一大事。とにかく知らないことしかなくて右往左往していました。そして対人関係はなおさらです。舵を左いっぱいに切るか右いっぱいに切るかのどちらかしか選べない船で航海するがごとく、とにかく人との関わり方の勘所がわかりませんでした。ましてや人がたくさんいる複雑な系を前にしてどういうふうに振る舞えばいいかなんてわかるはずもありません。どう苦労していたか叙述するのも難しいくらい意味がわかりませんでした。引き続き2年目もめちゃくちゃな年でした。無駄にやることを抱え込んで忙しいごっこをしていました。活動では人と協力してものごとを進めないといけないのに、まったく他人を理解していなくて右往左往していました。他人のささいな言動が引っかかっていらいらしていました。人への頼り方も下手で、ろくに頼らず自分でやろうとしてつらくなり、あるいはときに極端に負担をかけ過ぎたりしていました。当時のメールや日記を見返すとどうしようもなく余裕がなくて、一歩引いて見ることができていない自分が鮮明に蘇ってきます。それでなくてもいろいろぶつかる年頃(自分が本当にその年代と言えるのかはともかく)だし、同時期に何人もと不和を生じていたり、一方的にフラストレーションをかかえていたこともありました。ストレスで口内炎ができた痛み以上に、心に痛みを抱えていました。朝、駅で電車に乗る気がしなくなって、そのまま引き返したくなったときも何度もありました。でも一回行かなかったらもう二度と行けなくなる性格だと知っていたからその気持ちを押し殺しました。

この期間についてはアンビバレントな思いを抱いています。たぶん総合的にはうまくいって有意義な2年間を過ごしたのでしょう。楽しかったことはたくさんありました。やれることはやりきったはずです。いまでも続いてるつながりもあります。他方、なんともいえない閉塞感と敗北感を覚えていた部分もあります。私は異分子だったのでしょう。悪い浮き方をしてしまいました。そこにいる人たちはたとえ少し標準からはずれていても、ほとんどがなんだかんだ予定調和的で、波紋を生じることをつとめて避けている場所だったように感じます。学校教育一般に感じる窮屈さからすっかり解放された場所ではなく、その隣を並行して走るレールのような場所、とでも言うのでしょうか。みんな少しずつ外れているけど、でもみんなが志向している矢印を足し合わせると、まさにずばり「標準的」なものへの迎合を求めているように感じました。それは理解できることではあります。以前の学校でうまくいかなかったならばこそ、なるべくここでは目立たないようまわりに合わせようとする。そういう層がマジョリティになりゆるい人間関係を形成し、そもそも空気を読む能力に欠ける少数は遊離する。前述のように、周囲を必死で伺って浮かないように振る舞おうとしつつも、実際にはうまく合わせられず空気が読めなかった私は場所が場所ならいじめられていたのでしょう。そういう集団的な力学は働かない場所だったのはきわめて幸いでした。まあともかく、原点に戻って考えればこれはあくまでお試し、実験だったのです。ここでいきなりうまく立ち回れる必要はなくて、経験値が得られればそれが成功というゴール設定でしたから、それは十二分に達成できました。けっきょく、何も失うものはない勝負だったから、これでいいのだと思いました。そして2年過ごしたらだいたい満足したので次のステップに進むことにしました。

5. 大学へ:ふつう・フツウ・普通

けっきょく、2年で大学に行くことにして受験、そして合格して入学しました。高校1年目に履修した科目を使って科目免除の制度を活用したらわずかな科目数の受験で高認が取れるようになったので取り、もういつでも大学に行けるようになりました。夏になんとなく惹かれたとある大学のオープンキャンパスに行ってみたら想像以上に雰囲気が気に入り、しかも過去問をちょろっとやってみたら合格できそうな感触だったので勉強しなくていいやと思いました。他にも大学のパンフレットは数十冊手に入れて見比べましたが、諸々の事情を勘案して他に行きたいなと思える大学はありませんでした。だから受験勉強と言えるものはぜんぜんしていないことになります。さすがに直前期になって過去問をぼちぼち解きました。とはいえあまり落ちる心配はしていなくて、合格発表の時もちょこっとしかどきどきしていませんでした。

大学はまたずいぶん新しい環境でした。とても好きな環境でしたが、圧倒されたことも覚えています。それまでと比べたらずっと大きなコミュニティで、できることにあふれていました。入学式直前に39度の熱を出してしまい入学式は欠席しましたが、英語のクラス分けテストは上位のクラスに入りたい一心で死ぬ気で行って受けました。その後のオリエンテーションからのサークル紹介は体調悪くて悪寒がしながらも参加したのを覚えています。ほどなくして学内サイトにインフルエンザ流行中みたいなお知らせが掲示されて、しまったかなと思った記憶があります。普通の科目や第二外国語は特に問題なくやっていけたのですが、問題は英語。がんばってしまったせいでわりと上位のクラスに滑り込んでしまったら、周りでまったく留学経験がないのは少数派。なかなか大変な学期が始まりました。ここまで英語学習を3年間はしたとはいえなんといってもいままで英語をほぼしゃべったことがないわけです。日常的に英語を使う場面なんてなかったどころか、学校という形で勉強したのも英語Iの科目を取ったときだけ。あとは自分で勉強していたのみでした。単語文法読解は多少自信がありましたが、とにかくしゃべれない。先生の言ってることはわかるけどクラスメイトの素早い発話が聞き取れない。ディスカッションについていけない。言いたいことがうまく言えない。でもそんなことでめげるわけにはいきませんでした。

大学では学習面以外でも新しいことがいろいろありました。ひとつめは寮に入りました。はじめて親元を離れるし、はじめて他人と共同生活だし、留学生もいるし、新しいことづくめでした。寮に入った表向きの理由は親元から離れて自立し、国際性にも富んだ共同生活で成長するというありがちな感じのもので、それは本当です。ただ、もっと大きい理由は他人と距離の近い関係を築くことに挑戦するためでした。それまで2年間で人間関係の構築を実験して、浅い付き合いはできるが距離が近い付き合いはとことん苦手だということに気づきました。ならばそれを打破するために寮生活はうってつけだろうという安易な発想です。ここまで読んだらかなり無理をしていることはわかるでしょう。 荒療治なことは明らかで、実際最初の一年はかなりきびしいものでした。そりゃあそうです。すべてが共有で、イベントがひっきりなしにあって、距離が近い共同体なのです。どんなに自分の時間がほしくても必然的に色々なことに巻き込まれるのに、それでいて自分だけ繭の中にこもっているようで、その場に帰属できていないように感じていました。

この悩みはけっきょく変わらず、悩むことはいまでもあります。でも4年間を通して学んだことは「コミュニティに所属するためには、ほどほどに距離を近くしながらもゼロにする必要は別にない」のだということでした。コミットするべきところはきちっと押さえつつ、一歩下がりたいときには下がってもよい、そのon/offを切り替えられるようにして肩の力を抜いて関われば、自分が自分であるままちゃんとやっていけるしちゃんと居場所はあるということです。そしてどこか自分なりに平静を見つけられる場所を持っておくことも大切だとわかりました。言葉を変えれば、個人主義であることとコミュニタリアンであることは両立しうるし、それこそが共同体で生きていくのに必要なことなのだと思います。

もうひとつ新しいこととして、サークルは英語系のものに入ってみました。そしてここではじめて長期間ひとつの活動に深くコミットしました。ここを選んだ理由はできないことを痛感した英語がうまくなりたいと思っていたからが半分の理由。もう半分の理由は、その活動がロゴスの営みであり、コミュニケーションであり、パブリックスピーキングであり、それが自分の「失われた10年以上」を象徴するものだったからです。言葉を失った時を過ごしたから、言葉を取り戻したかったのです。だからこれは自分の過去に対する埋め合わせだったし、過去を乗り越える過程だったということです。別にこれは、容易な活動だったということじゃありません。むしろ、壁にぶち当たってもがく年月でした。でも、それは私にとってぶつかっていかなければいけない壁だったということです。いろいろな考え方とか知識とかを得る必要があるのと同時に、考えをちゃんと表現する必要がある。でもうまく言葉にできない。表現できない。表現ができないことは、そこに存在しないこと。競争と序列化が容赦ない戦場。そんな苦しみは、ある意味では過去に戦ってきた化物ともう一戦交えることそのものだったのです。今度は英語でしゃべるということに戦場を移して。この意味づけは寮生活ほど自覚的だったわけではないし、若干あとづけの解釈っぽい部分もあるかもしれませんが、でも別に実力もぱっとしない私のような人間がずっと関わってきたのはこの面も大きいと感じます。もちろん、ここで出会った人たちがかっこよかったからというのもありますが。

とうとう私はこんな場所、「バックグラウンドになにか抱えてることを前提としない場所」にやってきてしまったのです。ただひとつの違いは私だけ何もしないで歳をとっていて、背景がまっとうでなくて、それを隠していること。本来はここにいる資格がない人間が身分を偽って潜り込んでいるような感覚を抱いていました。そんなわけないとわかっているのに、いつか正体がばれて追放されることを恐れる不法移民のような感覚、と言ったら大げさにすぎますが。もちろん人それぞれ何かあるものだし、自意識過剰なのはわかります。でもほんの数年前にはまだ常用漢字が書けなかったし(付け焼き刃だったので最近また忘れてきてあまり書けません……)、四則演算の筆算ができなかったし、be動詞という言葉を聞いたことがなかったこと、 そして庇護を必要とする人間と扱われていたことを思い返すと、にわかには信じがたい気がしました。いま大学にいて、少し変な奴感こそあるものの、だまっていると影のないふつうの人生を生きてきた人のふりをできているのです。これは一時的なピーク、うたかたの夢であって、またすぐに墜ちて行くのではないかとよく思っていました。これはいまでもときどき思います。自分が基礎のぐらぐらした建造物のような存在だとしばしば感じていました。一見どんどん建築を進めている建物のようでいて、その内実は砂上の楼閣にすぎない。2年間の高校時代に急ごしらえで建てたものだから、土台なんてなかったのです。大学4年間はそういう意味で上に建て増していくプロセスである以上に、下に掘り下げて自分のあり方を確立する過程だったように感じます。

この土台が強固になってくるまでは、まだだいぶ余裕のない日々だったように振り返ります。はじめは走り続けるしかない自転車のようでした。履修の単位を詰めた結果として降ってきたたくさんの課題をこなしながら、サークル活動以外にも1年目の秋くらいには色々な活動をしていました。そこでチームリーダーを務めたりしたこともありましたが、けっきょくこのときもうまくリーダーシップが取れなかった気がします。ずいぶん安定感がなくて、頼りなかっただろうなといまになって思い返します。そしてサークルの活動も英語があまりに下手で、勝手に疎外感を覚えて、負け犬だなとつらい思いをすることがしょっちゅうでした。悔し泣きをしていました。大学生活も後半になってようやくコミュニティにしっかり根を下ろせて、居場所がある安心感を持てるようになりました。そんな場所はこのときがはじめてだったし、今後もなかなかこれを上回ることはないでしょう。入学する前の年に学園祭に来て、のどかで仲良くやっている様子を見て、その一員になりたいと思ったものでした。そのあとは毎年、日暮れどきに寮のベランダからキャンパスを眺めて、いま自分はここに属しているのだなあとしみじみ感じていました。いままで学校に行っていないあいだ、どこにも所属せず、どこに行こうとアウトサイダーでしかなかった自分が、ここでこんなにもインサイダーであるのは、なんだか奇妙にすら思えました。そう考えると、私にとってこのキャンパスがどこまでも特別で、なかなか離れられないのも無理はない気がしてきます。

全体的に充実した大学生活だったのは間違いない一方で、やっぱり苦労してきたようにも感じます。まだ圧倒的に経験値が足りませんでした。そりゃあそうでしょう、まともにあったのは2年だけ、それもほぼはじめての社会的生活を生き延びるのにあっぷあっぷの2年間だったのですから。自分を知らなかったし、他人を知りませんでした。自分にどういう強みがあり、弱みがあるか。他人はどういうふうに行動して、どういうタイプの人たちがいて、どう自分や他人と関わってくるのか。そんなことをほとんどわかっていませんでした。言ってみれば、己の実力を知らず、敵の性格も知らず、戦略や定石も知らないで、ただ駒の動かし方だけ教わっていきなり将棋で勝とうとするようなものです。ようやく今年度くらいになって第一段階としてわかったかなと思えるようになりました。自分が何が得意で、何が不得意で、他人はどういう人たちがいて、その中でどういう戦略で立ち回っていくべきなのか、ひとまず基礎はおさえました。でも、これをほかの人は大学入ったときにもう知っていたなんてずるいなあとも思います。とりあえず一勝負終えているわけだから、うまくいった点を伸ばすなり失敗した点を改めるなりできるわけです。いったん確立したものがあるから、「大学デビュー」とか言ってそこから変化をつける余地があるわけです。そんなもの私にはできっこありませんでした。だってまだそもそも何も確立した戦略がないのだから、変化なんてつけようもなく、ともかく突き進むしかないのです。以前ある人に「子どものころが想像できない。最初から20代だったみたい。」と言われたのですが、これはまさにそのとおりで、自分の人生は20歳のころからはじまったようなものです。 いまごろになって、私もようやく人生の二局目に入ったように、だいぶ余裕ができたように感じています。他の人たちはもっと先に行ってしまったとはいえ。

そんな感じだったから、素直によくがんばってきたなと思います。ありていに言ってしまえばよく4年遅れで収められたなとも。まあこういう「何年遅れ」という枠組みは好きではないですが。 大学では幸いにして大きく空回りすることはなく、対人関係はおおむね円滑だったように思います。 そしてちゃんと卒業できた、そのことからしてびっくりだし、単位を落とさず、成績もさほど悪くなかったし、それなりにちゃんと勉強もしてさまざまな見識を深めることもできました。海外いろんな国に行ったし、留学もがんばって充実した忘れられない経験になりました。寮でも色々な役職をしたし、こんな私がけっこう慕われるようになれたなんてびっくりです。サークル界隈でも自分なりにがんばってちょっとは賞とかももらえたし、後輩の育成とか、大会の運営とかをけっこうやって受けた恩は返したはずだし、それなりに存在感のある人間になれました。学外で卒業間際に学会でポスター賞やプレゼン賞をもらえる機会もありました。卒業研究もけっこうがんばって、いろいろひっくるめて卒業に際して総長から賞をもらいました。認めてもらうとか賞をもらうとか外在的な価値基準にのっかりすぎるのはよくないですが、それにしても自分なりにやれることはやりきったと思うのです。もちろん周りにはもっと活躍してる人がたくさんいるので、こんなのなんでもないことはわかってます。しかしひいき目なしに言っても、自分の17歳のときの状況を踏まえると10年でここに至るなんて奇跡だったんじゃないでしょうか。さまざまな面で環境に恵まれ、人間関係に恵まれたことに感謝しています。あと、家族の支援があったこと、ありていに言ってしまえば金銭的に多少の余裕がある環境だったおかげであることは自覚しています。家庭環境については色々な意味でもっと触れる余地はありますが、ここではあえて扱いません。

6. Emptier than empty

そんなこんなで、まあなんとかやっていけるようにはなりました。けっこう明るい印象を与えられるようにもなってきました。それなりに肩の力を抜いて人と接することができるようになってきました。まだときどきうまくいかなかったり、初対面ではうまく話せても表面的なつきあいしかできず困ってしまうようなときもあります。とはいえ、世の中みんなそれぞれ苦労はあるし、そんなに人付き合いの得意な人ばかりではないので、対人関係力の面ではひとまず大丈夫になったかなと思います。いまの自分をどこまで客観視できているかはわかりませんが、たぶんいまの私を知っているみなさんには私が過去にこんなふうだったことは想像するほうがむずかしいのではないかなと思います。大学の1年目にはまだ無理している部分が多々ありました。大学2年3年あたりはわりあい円滑に進みつつもところどころ綻びがあって、大学4年になってだいぶ落ち着いた感じでしょうか。人とコミュニケーションはそれなりには取れるし、多くの人の前でプレゼンをすることもできる。実際、周りから自分がどのようなキャラクターとして見られるかも、大学より前、大学時代、そして現在の大学院と節目ごとにだいぶ変化してきたように感じられます。しだいに経験値が積めているのでしょう。

それでもまだ多少の影響は残っています。とても他人を観察している(他人そのものを観察しているというより、他人が自分をどう見るかを観察している)のがひとつ。あるいはたとえば私がけっして酔うほどには酒を飲まないのは、やはり自分がどう見えるかを気にしているからです。ふだんからふるまいを意識的に制御しているから、酔っぱらってその制御を失ったらどんな醜態を晒すかわからないのが怖いのです。まあべつに酔わなくてもさして困らないからいいのですが。また、人に変に見られそうな場面や拒絶を受けそうな行動を回避する傾向も残っています。人に話しかける、頼みごとをする、電話をかける、などなどいくつかのことはハードルが高いままです。抵抗感の悪循環にもはまりやすくいったんはまりこむとどこまでも行ってしまいがち……。挙げていくときりがありません。といっても、私がけっこうそういうことを平気そうにしているのを見かけて、内気な性格ではないと思ってる人もいるでしょう。半分それは正しくて、根っこの性格はわりあい積極性が高いほうのようです。でももう半分は間違っていて、積極性の高さは必死に抵抗感と戦ったすえに達成しているものなのです。けっして楽にできているのではありません。まあ、ここまでだいぶ改善したし、時間はかかれども今後しだいに解決に向かうことでしょう。

一方で、まだ解決していないし、これからも解決しないであろう問題は、過去がないことです。人と関わると、みんな過去を持っているなあと感じます。こう言ってもなにを言っているんだって感じかもしれないですね。過去の経験、過去のつながり、その他積み重ねてきたもろもろのものがないのです。いや、たぶんこれでもこの感覚は通じない気がします。安易にたとえてみれば、ネットゲームでもなんでもいいのですが、周りの人たちはみんなみんな古参ユーザーでいろいろ知っているしレベル上がってコミュニティを形成しているし、過去にあったイベントとかいまは引退したユーザーとかについて話してる。もちろんみんながみんなまったく同じ経験をしたわけじゃないけど、でも似たような経験はおおかたしてて、それによって連帯感を得られる。なのに自分一人だけ今日いまさら新規登録した。それをゲームとかじゃなくて毎日の人生そのものについて感じるのです。最近ようやく少し歴のあるユーザーになれてきた感はありますが。

過去を持たないと何ができないかというと、単に疎外感を覚えるだけではなく、過去から現在、そして未来へと一本のストーリーが描けないのです。たとえ話に戻れば、いままでにレベルを上げて中ボスを倒していった経験がないのにどういう手順を踏んでラスボスを倒せばいいかの筋書きを描くことはできない、とかになるでしょう。世の中には小さいころの経験からいまのありかた、そして歳をとったら何をしたいかまでを思い描ける人、人生という物語の主人公になれているような人がいます。そこまでではなくても、やはり過去の経験があっての現在のその人だし、言葉に出されなくてもその人の過去を感じることはしばしばあります。反面自分には過去がなくて、過去に自分がどうしたからどういう人間だ、という航跡が見えません。未来を描こうにも、過去に生きてきた道筋を伸ばして考えることができません。これはだんだん解消されていくことでしょうが、乗り越え切れてはいません。

そしてより重要なことに、過去がないことのもう一つの弊害は単純に経験と記憶が欠乏していることです。あまりに空白が大きすぎます。自分は何も知らないし、何も経験してこなかったのです。体系化された知識は本やネットで補えます。でも、日常生活の体験はどうでしょう? 友達と遊んだゲームなんてありません。放課後に野球やサッカーをしたことなんてありません。流行った漫画なんて知りません。要するに、小学校中学校(+高校も一部)でだれもが経験するであろうことを端的に何一つしていないのです。実際、ここに「何を経験していないか」を書くのにそうとう迷いました。だっていまでも私は人々が何を経験するか知らないからです。人が国語の教科書の話題を出して、その場にいる全員がなんのことかわかっていて、でも自分だけはわからない。そんなたわいもない会話で生まれる小さな疎外感も心を冷たくするのに十分なものです。

この空白の影響はだんだん薄れてくると思っていましたが、どうやらそれは間違いだったようだと気がつきつつあります。子ども時代の話や学校生活の話って、何歳になっても会話にしょっちゅう出てくるのです。中高どこ、というのが鉄板の話題になっている世の中を恨みます。あるいはそこまで直接的でなくても、集合写真に誰かが写りそびれると、必ずと言っていいほど「すみっこのほうにあとで丸く合成しよう」と誰かが冗談を飛ばします。それが何のことなのか私は知りません。理科でこういう実験したとか、給食の具材がどうだったとか、そんな話がとりとめもない会話で出てきます。それも私は知りません。あるいは学校そのものから離れても、ポケモンだのドラクエだの当時流行ったものだの関係する話題はきりがありません。一方、最近ならポケモンGOが出たところだからとその話題に乗れるかというと、そもそも小さいころから一切ポケモンというものに触ったこともないので、はじめようにもわからないし、やる気にもなれません。ネットのサービスに登録するときですら秘密の質問の候補に「小学校の担任の名前」と出てきて、考えたくないことを意識させます。

あるいは最近だと、そういうstereotypicalな「学校の話」みたいのはパターンを覚えてしまって、自分の経験も実感もない言葉を若干は語れるようになってしまいました。「大学院生は夏休みの宿題にずっと追われ続けるようなものだよ」と夏休みの宿題なんて知らないのに言ってみたり、「あの話、校長先生の話みたいに長くてつまらなかったね」と実は何も記憶なんてないのに言ってみたり、あるいは「あの男子校出身っぽさがおもしろいよね」とかよくわからないけど人の受け売りを言ってみたり。そういう話をすると、びっくりするくらい相手に伝わってウケるのです。あるいは伝わるというよりは、言ってないことを相手が勝手に読み取ってウケるのです。ぜんぶテキトウなのに。フィクションとかネットとか伝聞とかの劣化コピーなのに。そのたびに、偽りの言葉を発した自分が嫌になるし、それでいてこういうネタが便利すぎて戸惑いを覚えるのです。自分で考えて絞り出した言葉は全然受け止めてくれないのに、こんなニセモノの言葉で話が盛り上がると、悲しい気持ちになるしかありません。けっきょく、人々はこういうありあわせのテンプレートに基づいた会話をしているだけなのかもしれません。

せめてもの救いは、中には私でもついていける共通の話題があるコミュニティもあることです。例えば同じ学部や学科ならそんなに話題に困りません。クラスの課題が、サークルが、就活が、身内のだれだれが、とか話してるのがほとんどだから、適当に右から聞いた話を左に流せばいいのです。もっといいのは何か共有できる強いコンテキストがあるときです。たとえばアカデミックな業界は専門的な議論ないし雑談ができるという前提が置かれていて、めいめい好きな専門ネタを話すので、自分だけ居心地の悪さを感じることは少ないのです。これは○○オタクと呼ばれるような人たちのコミュニティにも普遍的な特徴であることでしょう。

でもそういったコンテキストを共有しない場所に出たときは過去の学校生活ネタがびっくりするくらい鉄板の話題になってしまうのです。就職したらそれこそ、飲み会でわざわざ仕事の話はしないでしょう。愚痴は言うかもしれませんが。行ったことないけれどいわゆる合コンとかもきっとそうじゃないでしょうか。専門性とか趣味とかの共通項のない場面では、最近の世間話か学校時代の話になりがちなように感じるのです。ならばせめて最近の話題についていこうと、バラエティ番組見たり最近のポップミュージック聞いたりしようにも、そういういわゆる大衆向けコンテンツに出てくるネタはターゲットとするオーディエンスの最大公約数的な題材になるわけですから、いわゆる「ふつう」の人のふつうな生活を意識させるもので、思わず目を閉じて耳をふさぎたくなります。むしろ海外のコンテンツのほうが受け入れやすい。

もちろん、ずばり平均値の人はいなくて、人それぞれ外れてることは承知です。意識しすぎなのでしょう。わかっています。でも、わかっていても意識せずにはいられないのです。意識しすぎているから、ささいな場面での違和感でも静かに降り積もる雪のように積み重なって、いつしか重苦しさを覚えるのです。これは、日本社会の共有コンテキストの強さと、他の共通コンテキストのなさという二側面の相乗効果によるものでしょう。教育が良かれ悪しかれ国民国家の基盤であるというのはほんとうにそのとおりで、どんな地域でも子どもの時期に多かれ少なかれ共通の経験をすることで「日本」という(フィクションでありアプリオリには存在しない)存在が実体として立ち現われ、そこへの帰属意識、同胞意識までアイデンティティの一部となるわけです。日本人ならだれでも持っていて当たりまえの過去の経験であり、共有しているからこその仲間意識。だからその前提を脅かすものには排他的になる、というのが必然的な裏返しの帰結です。

そういう社会のあり方を考えると、私は日本以外の国で暮らしたほうが楽なのかなと思うことがしばしばあります。もっと移民がたくさんいて同じ経験をしていることが期待されない社会だったら比較的楽なことでしょう。でもそれ以上に重要なのは、他の国にいけば目に見えて「異邦人」になれることです。どうみても移民であれば最初から同じような背景は期待されないし、中には自分が疎外感を覚えているかもしれないということに気づいてくれる人がいるのです。それに対して日本にいると、私の見かけは日本人ですし日本語をネイティブで話しますから、ふつうの日本人だと思われてしまい、それでいて同じ背景を共有しない「見えない異邦人」とでも言うべき想定外の存在になってしまうのです。これはもしかしたら日本人の子どもだけれど海外で育って日本語を喋れない人が苦労するという話に似ているかもしれません。

もちろん海外で暮らすのは苦労もあることはわかっています。ただ、自分だけ疎外感をしばしば感じ、なのにそう感じていることなんて誰も気づいてくれない場面の繰り返しに少々うんざりしてきているということです。

だってそうでしょう。日本にいたら上記のように人に会うたびに自分の素性についてうそを重ねて生きることになる。人と話せば、テレビをつければ、本を開けば、映画館にいけば、そこにある物語は往々にして子供のころの話、学校の話。日常会話のふとした瞬間にとっさにうそを挟み込まなくてはいけない緊張感をわかってくれる人は、あまりいないことでしょう。会話が修学旅行どこ行った? という話題になったとき、いつ自分に飛んでくるかと戦慄が走る感覚は、わかってくれないでしょう。ばれるリスクを犯しててきとうなうそをつくか、気まずくなるリスクを犯してこのバックグラウンドを話すか、刻々と自分の番が迫る中で反応を予想しながら逡巡する息苦しさだって、わかってくれないでしょう。うそをつくなら京都とか北海道よりも日光とか沖縄とか言ったほうが回れる場所が限られているのでそれっぽいストーリーをでっち上げやすい、そんな知恵を得ないといけない私の気持ちも、わかってくれないでしょう。ボロが出る前に話を他人に振って、そしたら彼/彼女がたわいもない思い出を話しはじめて、ああそっちは本物なんだ、この人にはそんな思い出があるんだ、だからそれをそのまま言うだけでいいんだ、そのときのみじめさ……。そのことに疲れているのです。自分はよそものなのだなと思わされるたびに。わかってくれなんて言いません。共感してくれればうれしいですが、安易に理解者ぶられるのは好きじゃありません。

それにこれから――実現可能性はさておき――子どもを育てるとかいう場面を考えてみましょう。自分が大人になって学校うんぬんから離れられたと思ったらまた学校の世界に準当事者として飛びこまないといけないわけです。周りの人はみんな学校の経験があるのが当たりまえで、自分の子供にとすってすらそれが当たりまえで、なのに自分だけ何も経験がないままで。

そんなわけで、海外に移住するチャンスは模索しています。もちろんそれは逃げだし、海外だとある種のお客さんだから楽になるだけという部分は大きいし、それにこんな世界情勢だし、つらくなって逃げ戻ってくるかもしれませんが、そうしたら笑ってやってください。けっきょくは、他人や環境がどうという問題ではなくて自分の中で乗り越えなくてはいけない問題だし、そうしたら済むことなんだろうなとはわかっています。

7. 勉強のこと、将来のこと

勉強はまあ案外なんとかなるものだなあというのが素直な感想です。大事なのは、どれだけ周回遅れでもその状況を打開するためにはやるしかないし、やりはじめるにはプライドを捨てていまできるところからスタートしなければならないということ、そしてやれば案外なんとかなるということです。「いまさらこんなことをやるなんて」という恥辱は耐え忍ぶしかないけれど、わりとすぐに抜けられます。やり始めたほんのしばらくの時期はどうやったらいいかもわからないし進まなくてつらいかもしれないですが、一度進みだしてしまえば、最初のあたりは学習曲線が一番立っているところだから、けっこうぐんぐん進むのです。まあこれは全員に当てはまるわけではないことは知っています。実際学習にもっと困難を伴う人も見てきましたが、どういう違いなのかはわかりません。

勉強を始める前、図書館で本を読むのは好きでしたが、少しでも数学や英語が出てきたところで、まるでゲームのステージがロックされているかのように引き返すしかありませんでした。その先に道はあるのに、基礎的な素養がないから何が書いてあるか理解ができないというのはつらいものです。けれどいまはずいぶん多くの本が自分の理解の範疇にあります。そうして世界がアンロックされる快感はすばらしいものだし、これが勉強ということの意味するところのひとつなのかなと思います。単に知識をつけるために勉強するのではなくて、理解の範疇にある知識を増やすためのリテラシーとしての勉強。

と、こうして書くと勉強面ではもうすべて乗り越えたかのように聞こえるかもしれませんが、決してそんなことはありません。日常生活でもやはり漢字が書けない場面は多いし、さらに書き順は一切気にしないで漢字を覚えたのでまったくでたらめです。左利きなのでどうせ従ってもたいしてうまく書けないから無視したというのもありますが、時間が限られた中で優先順位が低いと考えて切り捨てた面が大きいです。私がいま黒板やホワイトボードに極力日本語で書かないのはこれが原因です。窓口などでも相手が私の手元を見ているのがいやでしかたがありません。加えて、頭の中で数理的な概念を操作するのはどうも不得意です。だからこそ大学でも数学をそれなりにやったのですが、あまりにできなくてびっくりします。けっきょく、すごく学際分野に逃げてお茶を濁しました。がんばりが足りないことの言い訳に過ぎないかもしれませんが、どうも数理的な思考がコンピュータでたとえるとエミュレータ上で走っていて、たとえば言語的なことにくらべて性能が劣るような感があります。もろもろの学校の科目の内容も受験に不要だったものは軒並み無視しているので、抜けている知識も多々あります。たとえば太陽系の惑星はと問われるとなんだっけとなったり、地質の話でなんとか岩とか言われてもわからない。日本史もすっ飛ばしたのでほとんど何もわからない。まあちょくちょく出てくるものはやがて覚えるのでさして大きな問題ではないですが、やはり気になってしまう場面は少なからずあります。

そして将来に目を転じてキャリアについて考えているとき、こんな記事を見かけました。

3年以上受験勉強をやるというのなら、相応の“覚悟”を持ってやるべきだ。 人間、負けを認めるのは辛い。当然ながら、負けるのが好きなやつなんていない。撤退を決意するのは、非常に辛い決断だ。 だけどそれ以上に、普通じゃない何かになる事の方が、普通の人にとっては後々になって何よりも辛い現実となる。 3年で撤退すれば、ギリギリ新卒で卒業できる。新卒で卒業さえできれば、普通の人生のルートにのれる。 普通になれる可能性がある事は非常に素晴らしい。普通じゃない人生は本当にウルトラハードモードだ。その道を力強く歩める人は、ほとんどいない。

「やればできる」はウソ。勝負からの撤退を決意する事の大切さについて。 (http://blog.tinect.jp/?p=38329)

なるほどと同意する一方で、どうしろとと言いたい気にもなります。私が4年(どころではないですがとりあえず)を失ったことについて誰に責任転嫁をしたいわけでもないですが、かといってそれは自分のせいでもありません。はじめて挑戦するゲーム(しかも一回きりしかできない)にウルトラハードモードで挑むのは望んでませんが、なってしまったものはもう受け入れるしかないでしょう。逆に考えれば、もうどうやったって「普通」にはなれないのだから、もうそのレールに縛られる必要はないのです。ふだんうっかりするとその事実を忘れてしまいそうになりますが、つとめて意識してあえて外れていかないといけないのだろうなと思っています。他の人たちと違う方向を向いておけば、風向きが変わったときには高く飛べるかもしれません。やっていける人がほとんどいなかろうと、やってやろうじゃないですか。だって、やるしかないのですから。

その意味では、普通から外れ、「うまく浮く」ことを大学時代に多少身につけられたように思います。高校のころの反省を踏まえつつ、留学生やいわゆるコミュニケーション能力の高い人たちの行動から学んだ部分が大きいです。やりたいことはためらわず素直にやる。空気をうかがうことはしないで最初の一人になる勇気を持つ。それでいて同時に大事なのは自分がまっとうな思考とメタ認知を持っていることを示し、それがさも当たりまえであるように堂々と振る舞うことです。根暗で挙動不審な人間になったら負けです。あるいは単に堂々とするだけでは自分を客観視できないただのおかしな人になってしまいます。忖度の文化圏(そういう空気を読む文化は嫌いですが)にいて、あえてうまく浮くように心がけているつもりです。それがうまいことできれば、なかなか強いスキルになるでしょう。ときに調子乗りすぎに見られて嫌われるかもしれません。だからといっておとなしくするつもりはありません。リスキーなのは知っています。でも、そのリスクをとらないリスクのほうが大きいからです。なんたって人生ウルトラハードモードらしいですから。

大学に入ってからこのかた、一方ではやりたいことを好きなようにやってきましたが、他方ではキャリアを計算して動いてきてしまったのかもしれません。それともこれは結果論なのでしょうか。英語、パブリックスピーキング、わりと実用に近い専門分野、どこまで習得できたかはさておき、とにかくcvを埋めるものばかり追い求めてきたように感じます。焦躁感に追われてきたのでしょうか。少しばかり足元を見失っている気もします。

そういえば「時間はみんなに平等だ」なんて言説がありますね。あれはうそです。時間は、風なのです。それは追い風のときもあれば、向かい風のときもあるのです。このことだけは、覚えておいてほしいなと思います。いつかあなたの人生に向かい風が吹いた日のために。

8. Don't let your past define who you are

これだけ過去のことを書いてきましたが、これを自分の売りにはしたくはありません。これで自分を定義はしません。これは自分のこれまでの人生のストーリーですが、このストーリーの続き、同じ章にこれから先の人生を綴ろうとは思いません。こんなつまらない過去で自分を定義するほど落ちぶれたとは思いませんし、未来にはきっともっといろいろなことができると思うし、していきたいのです。たとえば――現実性は置いておいて――こういうネタで本が書けたり、講演会ができたとしましょう。そうしたら周囲の人々、そして何より自らが「こういう過去の人」という看板で自分を見ているわけです。でもそうやって時を止めて過去ばかり見ていて、じゃあお前はいまは何をしているんだと問われたら答えに窮するでしょう。しょせん個人の経験なんてそれが明日を生きる糧になる範囲で、あるいは他の人の役に立つ範囲で価値があるだけで、回顧することそのものに意義があるとは思いません。どんなに特別な経験、たとえば宇宙人に誘拐される経験をしたとしても、何年も何十年もそのことばかり考えたり話したりしている人がいたら、「もういいかげん過去にしがみつくのはダサいからそろそろ前を見たら」と言いたくなるでしょう。

こんな過去のこと一色のポストをしながら「過去を見てばかりいるのはよくない」と言うのは奇妙かもしれません。でも矛盾ではないのです。ちょうどよい人生の節目なので、ごまかさずに一度ぜんぶ書いてしまって、それで清算してしまいたいから書いてみたのです。ナラティブアプローチという言葉があるように、語ることは、単に語ることを超えた意味を持っているのです。語ることで、過去を封印することなく、焼却してしまうこともなく、ただ区切りをつけて置いておこうと思います。また、いま私がこのように語っているのはいまの私なりの語り方であり、過去を通して現在の自分を語っているのです。将来の私は、同じはずの過去をきっと違う形で語るでしょう。どちらがより真実に近いのかはわかりません。どちらも脚色や省略があるから、真の物語にはなりえません。その違いを見てみたいというのも、ここで一度まとめてみた理由です。

いままで私の至らなさゆえにいろいろな方に迷惑もかけてきました。そのことについてこういう過去があったからと言い訳をすることは意図するところではありません。ただ、こんな私にそれでも付き合ってきてくれた方々には感謝しています。それなりにうまく振る舞えたときもあれば、まったくそうでないときもあったことは自覚しています。あるいは自覚がある以外にも失態がもっとたくさんあったかもしれません。

まだまだ乗り越えなければいけないことも多いですが、なんだかんだ言って自分の将来についてはおおむね楽観的で、どこかに流れ着いてやっていけるかなと思っています。その先で、みなさんにまた縁があったらよろしくお願いします。これを書きながら、自分について見つめ直すことがたくさんありました。過去に囚われて、時間が止まっているままのことがたくさんあることに気づきました。たとえば運動ができない自分、あるいは見た目が子どもみたいな自分、どちらもわかっていたことだけれど、変えられずにいたのは「ふつうの人っぽいこと」、「ふつうの若者っぽいこと」をするのに潜在的に抵抗感を覚えていたからのような気がします。それを意識的に変えることに最近試みてます。もう若者でもない年齢になりつつあるのでなかなかむずかしいところがありますが、大学デビューみたいにならないように、かといって年寄りくさくもならないように、自分を改革していきたいなと思っています。

このくらいの歳になると、人生にはそれぞれいろいろあるものです。私は恵まれている方だと思う人もいるかもしれません。そうかもしれません。ただ、人の生きづらさというのはなかなか比較できるものではないこともまた確かでしょう。私は時間の負債を抱える人生になりました。この負債には自己破産制度がないから、死神が取り立てにやってくるその日まで、抱えたまま生きていくしかありません。でも、たぶんこの人生はこうなるしかなかったし、きっとこれでよかったのです。そんな星のもとに生まれた、という言い方は超自然的に過ぎますが、けっきょくなるようになるし、なるようにしかならないのは自明の理です。あとはもう気の持ちようでしかないから、ならばせめて明るく行きましょう。この人生のいろいろなものが大切で、なんだかんだいまの自分が好きだから、これとは別の人生は望みません。

少しばかりきれいにまとめようとしすぎかもしれません。ここまで読んできたらわかる通り、「ふつう」なるものをどこまでも嫌っていながら、同時にくるおしいほどの憧憬を抱いているのです。けっきょく、私はどのくらい「ふつう」で、どのくらいふつうじゃないんでしょうか。「ふつうでないことを自称する人はきわめてふつうの人である」、というのが私の持論ですが、それに基づけば私はごくごくふつうの人間だということになります。まあ、そうかもしれませんね。わかりませんけど。

「何事もなくそのまま人生を歩んできていたら、いまごろどんな生活をしていたのかな」と思うことはときどきあります。いまごろ大学を出て6年目、ただ院には行ってそうな気がするので修士を取って働き出して4年目、はたまた博士を修了したりしているのでしょうか。もちろんその「私」にも苦労はあるだろうし、人生そこまで順調にいくものではないのでしょうけれど。なんだかちょっと会ってみたい気もします。必ずしも人生を交換したいとは思わない気がしますが。

でも、より大事なのはふだんあまり意識しないもう一つの反実仮想「あのまま、あの暗いところに留まっていたらどうなっていたのだろう」かもしれません。掛け値なしに、現在のように脱出できる可能性よりも、暗いところをさまよい続ける可能性のほうがずっと大きかったと思うのです。その「私」がどこに向かったかはわかりません。その「私」には発する言葉もないし、いま読んでくれてるみなさんのような耳を傾けてくれる人もいないのです。なによりいまの私自身がそちらの世界の私に対してよい理解者ではないのです。これはどんな困難でも一緒ですが、なまじ困難をくぐり抜けてくるとそれができるのが当たり前だと思ってしまいがち。実際は運がよかっただけなのに、苦しさを抱える他人にむしろきびしく、非共感的になりやすいのです。まあまだ乗り越えたと言うのは時期尚早ですが、あるいはまた乗り越えてないからこそ自分の弱みに目を向けたくなくて、他人の同じ弱みに対してやさしくなれないのかもしれません。自己表現が苦手な人なんかに対して「なんでそのくらいの勇気もないの」とか冷淡な感情を抱いてしてしまうこともあります。けっきょく、他人のことや別の世界線の自分のことは理解できない。わかったつもりでもわかっていないのです。人を裁いてはいけない、というのはほんとうに金言だと思います。終章の結論としてまったくきれいにまとまっていませんが、それはお目こぼしください。

もはや怪文書レベルのここまでの長文で自分のことを書く人はなかなか見たことがないし、内容も暗くてへんてこなものだし、気色悪いことをしている自覚はあります。黙ってまっとうなふりをしていた方が行儀よいのは重々承知です。ここまでスクロールくださった方の中にはあまりいないと思いますが、中には引いたわと思う方もいるでしょうし、なにこいつ気持ち悪いと嘲笑を浮かべている方もいるでしょう。でもそれをわかった上で、あえてやってみようと思ったのです。かつてだったら、たぶんできなかったことですから。

長い長い自分語りにつきあってもらってありがとうございました。

おしまい

P.S. ……ここまで書いていて、まだまだごまかしすぎですね。認めないといけません。いまだって嫌われること、ネガティブな評価を下されること、弱みを見せること、拒絶されることを過剰に恐れていること。他方でそんな自分がすべてであって、いままでがんばってきたモチベーションはほとんどそこから来ていたこと。なんとかして「優秀」な存在と周りから評価され、そう自認することで自尊心を守っていたこと。そして、そんな恐れが抜けてくると、その跡地には救いようもなく怠惰でからっぽな自分しか残らないこと。そうなってしまうと、やらないといけないとわかっていてもものごとに手がつかないこと。もう手遅れなくらい土壇場になって恐れに駆動された自分が戻ってきてはじめて動き出せること。けっきょく、これだって自分の過去のせいにして言い訳をしているだけです。だれだって苦労はあるのだから、このくらい乗り越えなくちゃしょうがないですね。

たぶんいまはようやくそれを乗り越える過程にあるのでしょう。怠けがちで見苦しくてどうしようもない自分の姿を認めて、弱みを隠すのをやめて、着実に歩んでいく。そういうことをするのに、研究というごまかしの効かない営みはちょうどいいのかもしれません。正直なところ、ここにきてけっこうつらいです。なんだかありきたりな悩みすぎてバカみたいです。あるいは、ようやくありがちな悩みを持てるようになったのかもしれません。いまはそれを乗り越えるとき。ようやくそういう意味づけをしてとらえられるようになったような気がします。ということで、自分の過去がどうだとか心がどうだとかいうのはそろそろやめにします。また新しい一日がやってくるのですから。では。

よそものになる勇気

人は、よそ者であることに慣れていない。

みんな「続編」が好きなのだ。すでに知っていることの続きが好きなのだ。新しいことよりも既知のことを好む。シンゴジラを見ればわかる。あれは「日本社会」という物語の続編だ。コンテキストを共有している人たちの「内輪」だ。

みんな内輪受けが大好きだ。内輪受けはとても魅力的なのだ。人間がひきつけられる三大ネタをあげるのであれば、下品な話と、だれかの秘密についての噂話と、そして内輪ネタだろう。だから、この三要素を兼ね備えた恋愛ゴシップは最強なのだ。

内輪ネタをみんな好きすぎて、どこまで内輪受けのモードでやっていってよいのか、だんだんわからなくなってしまう。誰かがアウトサイダーであるかもしれないということを考えなくなってしまう。だから、政治家が内輪受けのつもりで不適切な発言をしてしまう。「外でしたら不適切な発言をあえてする」ことは最高の内輪ネタだからだ。つまり、「ここにいるみなさんは(外にいる敵たちと違って)私の仲間ですよ」というシグナルだからだ。で、読みを外して単なる失言に終わる。政治家じゃなくても、その場に文脈を共有しない人がいるかもしれない、という配慮をびっくりするくらいしてくれない。だから一部が内輪からあぶれる。

内輪からあぶれた者たちも、その外側にむしろ強い「内輪」を形成する。オタクコミュニティしかり。どこまでいっても、みんな内輪が大好きなのだ。内輪以外の人間関係のあり方を知らない人、あるいは自分が内輪になれない場を単に嫌って、それがどういうことであるかを考えていない人がたくさんいるように思う。

だからこそ、私は気をつけていたいなと思うし、あなたにも気をつけてほしい。場が一番盛り上がったときにこそ、一番置いていかれている人がいるかもしれないことに。一番楽しい瞬間に、ふと周りを見渡してあげてほしい。

そして大事なのは、自分自身がよそ者になる勇気だ。知っている人がいないところに飛び込むこと。今までの繋がりとか実績とか肩書きとかに関係なく、自分の身一つだけで新天地に赴いて、そこで自分の立場を確立すること。それができる力があれば、何があっても自分で生きていける。

あやつる・あやつられる

わたしが思うに、この世で最も警戒するべきは、権力者ではなく、体格がたくましい人間ではなく、頭が切れる人間でもなく、感情が爆発的に激しい人間でもなく、腕の立つ役者だ。

何かを演じている人間には注意を払わなくてはならない。キャラクターを演じているなら無害だ。そうではなくて、ストーリーを演じている人間には気をつけなくてはならない。とりわけ、その台本にあなたが登場する場合は。

人を操る人間はいろいろな種類がいるが、ざっくりその操り方でまとめれば、従わない場合の不利益をちらつかせ、従う場合に利益を与えるのがほとんどだ。それが金銭的なものであれ、雇用・昇進やその他の身分であれ、あるいは感情の取引であれ。例外は、人をいつのまにか自らの台本の登場人物にして動かすタイプだ。

こういう操り方は非常に強力だ。人は対抗できない。というのは、人はふつう極めて場当たり的にしか行動を決定していないからだ。その場の気分と雰囲気を仕立て上げてしまえば、いかようにも動かせる。もう少し思慮のある人間も、せいぜい遠くにゴールを設定し、それに向かっていくように心がける、くらいだろう。そういうアリやダンゴムシにも似た簡単なルールで動いている人間を、対人関係を詰め将棋のように計算している人間が操るのはさぞ簡単なことに違いない。そして相手は、劇場的なことをしてくるし、それ以上にあなたにさせようとする。

ストーリーを演じるというのは気持ちがいいものだ。物事がとんとん拍子に進むし、悩ましいことがあまりない。決断をどんどん下して、歩みを進めていける。そしてあなたの行動は一貫して方向付けられていく。あなたの感情も、方向付けられていく。というのは、行動を(相手に言われてでも)すると、後追い感情が生じてきて、まるでその行動を自分でしたかのように錯覚し始めるのだ。そうやって、あなたは相手にからめとられていく。相手の狙いが何であれ。

相手がそういう人間であることに気づくことすら容易ではない。手がかりがあるとすれば、筋書きが「できすぎて」いること、そして話を聞かないことだ。というのは、もともと計算した筋書きから逸脱したくないから。誤解しないでほしい、そういう人間は表面的にはむしろ「よく話を聞く」タイプだ。すごくよく傾聴してくれるし、懐が深い対応をしてくれるように見える。でもよくよく考えると、結局は丸め込んで相手の筋書きに戻る方向に進めようとするのだ。少なくともその場では。次回会ったときには、また別の計画を考えてきて言うことが変わるかもしれないけど、それってまるで組織の下っ端が持ち帰って検討するみたいじゃないか。そういうかすかな違和感があるかないか、くらいだ。

たぶん、注目すべきは相手ではなくてむしろ自分の心だろう。妙に心が踊る、妙に想像力がくすぐられる、妙に将来のことを考えている。そういう心理になる相手がいたら、それは自分に始点を持つ心の動きではなくて、相手から見えない糸で操られていることを疑うべきだ。そうしたら、想像を喚起するような言葉や行動を相手が多用していることを発見できるかもしれない。ものごとがうまくいきすぎているときほど注意せよ、ということわざはこういうことを言っているのではないか。

家族関係について

家族関係は難しい。家族とうまくいっていなくてその愚痴ばかり言ってくる人には近寄りたくない。だって、その人自身もその「家族」の一員だから。その愚痴の対象となる家族と同じくらい、本人も悪い可能性があるから。

もちろん個別の事例によっては家族が一方的に悪いかもしれないけど、逆に本人が一方的に悪いことも同様にあり得る。でも一番多いのは、両方がそれぞれ違う方向で悪いことだろう。愚痴をこぼしたくなるのはわかるけど、お互い様であることを客観視できていないなら危険だ。だって、そういう性格なら親以外の人間に対しても同じ問題を起こす可能性は高いから。家族というのは、良くも悪くも鏡だから。実際、虐待あるいはそれに近い状況で育った人々と話すと、残念ながらその人たちも他人との関係、とりわけ将来の本人の子供との関係において同様の問題を生じるだろうなと思うケースは少なくない。同じような虐待をしそうな場合もあるし、逆にそれを避けようと願いすぎるばかり逆の極端に振れそうな場合もある。

ただ、突き詰めていくと、家族関係がうまくいかないのは、どっちも悪くないとも言える。結局は、相性の問題なのだろうから。それは運でしかない。たまたま親と相性が良く生まれたからうまくいく人と、相性が悪く生まれたからうまくいかない人がいる。それだけのことだ

ここで危険なのは、親と幸運にもうまくいった人が、子ともうまくいくとは限らないことだ。子は違う方向性を持って生まれて来るかもしれないから。そういうとき、家族とは仲が良くて、距離が近くて、考えが一致して、幸せにやっていけるものだとずっと信じてきて、それでうまく生きてきた人間は、対処することが難しい。だって自分自身の生い立ちがあまりに良すぎるから。親子関係の不和なんて考えたことないから。親をうっとうしく思う子の気持ちを味わったことがないから。

だから、けっきょくのところ、その人が将来子供や他人とうまくやれるかどうかは、単純に親とうまくいっていたか否かで測ることはできない。そうじゃなくて、家族も含めて他人は別人格だということ、だから一定の距離が必要だということ、そして人と人の関係というのは必ずしもうまくいくものじゃないし、そう望むべきものでもないこと、そういうことを理解していること、実践できることが大事なのだろう。

弱さをアイデンティティにしてはいけない

強いものは魅力的だ。ライオンや恐竜のように。一方、弱いものにも不思議な魅力がある。特に、その弱さが相手と共有されるときの引力はとても強い。けれどその引力には吸い込まれないように気をつけなくてはいけない。

ネットには、弱さを看板にしている人たちがいる。弱さをプライドにしている人たちがいる。そうすることでアイデンティティを築くことができる。そうすることで人と繋がることができる。似たような弱さを持つ者同士は不思議なほど引き付け合う。弱みを開示することで、相手との距離を一気に詰めることができる。

ときにはそうすることも必要なのかもしれない。だけど、それは危険だ。弱さをアイデンティティにすると抜け出せなくなる。あなたの「弱さ」が、永遠にあなたの人生の支配者であり続けてしまう。


生きていると、人は変化していくものだ。そして自分の何らかの意味での「弱さ」が薄れていったとき、違和感を覚えることがある。とりわけその「弱さ」が深刻で、長年抱えていたものであるほどそうだ。かつて嫌いだったマジョリティ、苦手だったマジョリティにいまや溶け込めるようになってきたことに嫌悪感を持ってしまう。なぜかそこに乗っかってはいけない気がしてしまう。後ろめたく思ってしまう。救われることに罪悪感を覚えてしまう。自分はする資格がないと思っていたことにも今や手が届く位置にいるのに、手を伸ばしてはいけないと思ってしまう。

でも、人は変化していいのだ。自己に過剰な一貫性を求めてはいけない。自分の過去にアイデンティティを固定してはいけない。あなたは、あなたの過去を克服しようとしているのだ。でもそれは、少しも「あなたらしさ」を損なうことではない。

あなたはインスタ映えするカフェに行って、それっぽいハッシュタグをつけて投稿してもいいのだ。あなたは飲み会で騒いで酔いつぶれてもいいのだ。あなたは新しい仲間たちと海水浴やバーベキューやキャンプに行ってもいいのだ。あなたはオシャレになっていいのだ。あなたはカッコよくなっていいのだ。あなたは若者っぽいことをしてもいいし、大人っぽいことをしてもいいのだ。ちょっと奮発して、高級なレストランに行ってもいいし、日本人でごった返すハワイへ旅行に行ってもいいのだ。あなたは恋愛をしてもいいし、結婚をしてもいいのだ。つまるところあなたは、幸せになっていいのだ。

もちろん、それらのことをしないといけないわけではない。でも、今までさんざん軽薄だとか、無為だとか、空虚だとか、ばかげているとか、チャラいとか、さまざまな言葉で軽蔑してきたことを、いまや素直にやってみてもいいのだ。過去のあなたの考えがルサンチマンから来ていたことを認めてもいいし、単純になかったことにしてもいいのだ。とにかく、自分で自分にかけた呪いを解くのだ。やりたいことはやっていいのだ。これまでに積み重ねた論理武装を解除するのだ。だって、そんなことであなたを責めるのは、あなた自身以外にだれもいないではないか。幸せになることを禁じるのをやめよ。それがいかに凡庸な姿をしていようとも。

あなたの価値は、あなたがマイノリティであることに由来するのではない。「ふつう」になることは、あなたの価値を損なわない。あなたは変化する。そして変化したら、ときにはマジョリティの領域に足を踏み入れることだってある。別にマジョリティになる「ために」そうしたわけじゃなくても。だってマジョリティの空間の方が広いのだから、そういうことだってありえるではないか。変わることは、過去の否定ではない。変わることは、過去があってこそできることだ。


SNS、特にTwitterのつながりも、だんだんと移り変わっていくべきなのだ。あなたが過去に抱えていた弱みを共有する仲間と、いつまでも同じ関係でいる必要はないのだ。あなたは、その人たちを置き去りにしていい。そのことに、罪悪感を覚える必要はない。ただ、意図的に虐げることさえしないでおけばいい。

別にその人たちが劣っているというわけではない。人にはそれぞれのタイミングがあるし、そもそも克服しないといけないわけではない。でも、あなたにはあなたの人生の道筋がある。それは、他の人の人生とは違う。

かつての仲間は、かつてあなたが吐いていたのと同じ呪詛を吐き続けている。それはあなたの足を引っ張る声だ。耳を傾けてはいけない。あなたの中の一貫性を求める心がその呪詛に共鳴してしまう。

あなたはその人たちに付き合う義務はないのだ。その人たちに借りなどないからだ。変な義務感を持つな。あなたは、彼らの理解者である義務など負っていないのだ。見なさい、世間の人々なんて何も気にしていないじゃないか。あなたは望んでその境遇に至ったわけでもないのに、どういう論理で世間一般とは違う特別な責任を負っているのか? そんなの、あなたの勝手な思い込みだ。ただ一点、あなたはもうその人たちの理解者ではあれないことだけ、心の片隅にとめておけばいい。けっきょくあなたはその人たちを救うことなどできない。何を思い上がっているんだ。

あなたは優しい。だけど、優しすぎてはいけない。あなたは真面目だ。だけど、真面目すぎてはいけない。前に進んで、自分の人生を生きなさい。それは、あなたにしかできないことだから。