ゆるすこと

私の長年の友人であり、一番の理解者であるあなたへ。

それなりの年数を生きているうちにたくさんの人と出会ってきても、掛け値なしに、あなたほど気が合う人はいないと思っています。そんなあなたに仲良く接してもらえていることを非常にうれしく思います。

だけどいまだに、あなたを恨み、できることなら仕返しをしたい気持ちが心に泡立ちます。思い出話に花を咲かせながら、この汚泥のような感情をあなたに投げつけたい衝動をどうにか抑え込んでいました。あるいは抑え込めてなくて、表情に漏れていたかもしれません。

かつて、あなたは私の敵でした。7年前の今日、あなたから届いた一通のメールがいまでも残っています。真っ正面から心を切り裂く内容でした。ありがちな人間関係のこじれと言ってしまえばそれまでとはいえ、いま読もうとしても、拒絶の刃の冷たさが心臓から広がっていくのを感じて、最後まで目を通すことができません。血の気が引くという慣用句が比喩的な意味だけにとどまらないことを知ったのは、このときでした。一連の記憶は曖昧模糊としていて、どこまでが実際に起こったことで、どこからが私の頭の中でつなぎ合わせたストーリーなのか判然としません。記憶があらかた消え去ったあとに、形のない痛みと恨みだけが残りました。経緯については当時の日記に記述があるものの、これも直視できません。掘り起こそうとするといまだに涙が溢れそうになるのです。あのころの私は、どうやって堪えることができたのでしょうか。あのころ、明日を迎えないで済む方法を考えなかったのが不思議なくらいです。

わかっています、きっと私も悪かったのだろうし、あるいはむしろ私のほうが悪かったのかもしれないってこと。お互い未熟で、必死で、悪意はなくて、ただ弱かっただけだということ。そんな昔のことをいまだに引きずっているなんて馬鹿げているってことも。だから、どっちが悪かったとか関係なく、実際何があったかも関係なく、もはやすべては過去でしかなくてどうでもいいはずなのです。なのに、あなたにひどく傷つけられたというこの感情は心の底で焦げ付いて、どんなに合理的な理屈でも振り払えなくなってしまいました。これまで感情に振り回される人々に冷ややかな目を向けていた私の無知を恥ずかしく思います。

でも、あなたのことが好きです。あのころから、心のでこぼこしたところによく気づいてくれる人だと知っていました。表面的にはあんまり似ていないけど、心の奥のほうがよく似ている同士だと思っています。一応の仲直りをして友人づきあいを再開してから、細く長く、ずっと頼れる人でした。実質知り合ってから一年未満しか同じ場所で過ごしてないのに、その後に関係性が深まっていくのは、なんて幸運なことでしょう。あなたに相談したことはそんなに多くはないけれど、人に悩みを打ち明けることがほとんどない私にとっては、どんなに貴重な支えだったことでしょう。願わくば、あなたにとっても、私の存在が意味のあるものであってほしいです。よかったら、これからもずっと友達でいたいです。

でも、あなたのことが嫌いです。プラスマイナスで差し引きできる問題ではないのです。あなたとの記憶は、いまだに私の心に空洞を残しています。あなたと出会い直せたらと、何度願ったことでしょう。いっそなかったことにしたいあのころの記憶が、あなたと私を結ぶただ一本の線だなんて、認めたくありません。なにもお互いにしんどかったあの一年に出会わなくてよかったのに。前にもこんなことを言ったかもしれません。そしてやさしいあなたは謝ってくれたのかもしれません。あるいは私からも、もうあのころのことはあのころのことだね、とか言ったかもしれません。それでもなお水に流せていない私がいます。たとえあなたがもう十回謝ってくれたとしたって、きっとなにも変わらないことでしょう。

だれかに親しみ好きである気持ちは、その人への敵意と共存できてしまうなんて、知りませんでした。いっそ、相反するものであればどんなに楽だったでしょう。「好意の反対は無関心」という使い古された台詞の本当の意味がはじめてわかった気がします。好きかつ嫌いであることはできても、好きかつ無関心であることはできませんから。「ゆるす」というのは、そもそも好きと嫌いが共存しないと成立しない概念なのかもしれません。それは、単に憎しみを取り去るという意味ではなくて、愛を憎しみとの終わりなき戦争から解放してやるという意味なのだと思います。

ゆるすことがこんなに難しいなんて、知りませんでした。もしかしたら、何十年経っても私はこの憎しみから抜け出せないのでしょうか。醜い感情は、時間が洗い流してくれるどころか、心の暗がりで朽ちていくうちに、よけいに拭い去りがたいものになっていくようです。表面的にゆるしたことにして握手するのも簡単ではないですが、だれかを本当にゆるし和解することは、なおさら難しいのですね。

そして、人をゆるせないことは、己をいつまでも苦しめ罰を受け続けることであると知りました。ただ私が過去から自由になればおしまいなのに、それができない。だから、私のことを一番理解してくれる人に、本心を隠して、苦しさを抱えながら接さなければなりません。さよならしてしまうにはあまりに大切すぎるあなたに、無邪気に接することができません。

あなたの心に、この一連のできごとは、こんな私の姿は、どう映っているのでしょうか。あなたが勧めてくれた『氷点』を最近読みました。罪と赦しが主題であるこの小説を私に勧めたのには、どんな意図があったのでしょうか。あなたにも、どうしてもゆるせないことがあるのですか。あなたはどうやって、過去にいつまでも執着する私をゆるしてくれたのですか。私があなたをゆるせる日は、来るのでしょうか。