私のいない世界

Facebookの友達かもに急に浮上してくる人がいる。プロフィールを見て、共通の友達を見て、「ああ、この人はあの場所であの人たちと出会ったのだな」とひとりごちる。そこにどんな言葉があっただろう。どんな想いがあっただろう。それは私には永遠に関係のないことで、私が出会うことはきっと一生ない。その人の写真も、名前もわかるけれど、その人の声を聞くことはなく、どんな顔で笑い、悲しむのか、なにひとつ知ることはできなくて、相手は私の存在を認識しない。この世界は広くて、私がいなくても人は動き、出会い、別れ、それぞれの道を生きていく。私の世界は、その中のほんの微小な部分に過ぎなくて、私が存在することはニュートリノと同じくらいしか世界に影響を与えない。世界の中心は私ではなくて、人類の圧倒的大多数から見れば、私は単に存在しない。放っておけば知ることのなかった現実が電子の世界で可視化されてしまう。あたりまえで、どうでもいいはずなのに、どうしてかたまらなく哀しい。