人生と飛び石渡り

人生は、飛び石を渡っていくようなものだと思う。ある石からある石へ、いくつかの居場所、人間関係、やること、ないしは価値観を持ちながら、順々に渡り歩いていく。

そこで大切になるのは、「自分の体重に気づき、自覚的に体重を乗せる」ということ。どこかに足を置き、そこに体重を乗せているタイミングがある。あるいはそこから体重を抜いて軸足を入れ替えているタイミングがある。誰でも自分の足がどこにあるあるかはわかっている。でも、どこにどのくらい荷重をかけているのかはついつい忘れてしまう。それを自覚的にコントロールすることが、とても大切だ。

どこに足を置くかはよく考えないといけない。間違ったところに置いたら落っこちてしまう。いきなり乗るよりは、そっと体重をかけてみてから重心移動をしたほうがいい。でも時には次の石が遠くて、一思いに飛び移らなくてはいけない。そういうときは自分の見立てを信じて飛ぶしかない。

そう、信じること。石を信じてあげて、体重を預けることが大事なのだ。

過去に留まって、先に進めなくなっている人がいる。どの石に進もうとも転ぶ未来が見えてしまって、足がすくんでしまっている。過ぎてしまったことを美化して、それと異なるものに文句をつけ、その間に足元の過去という石はずぶずぶと沈み始めていることに気がつかない。二つとして同じ石はないことを受け入れなくてはいけない。形が違う石に、自分の足を合わせないといけない。だって、人生では、どの石も乗った瞬間からゆっくりと沈み始めるから。だから次の石を見つけて、勇気を持って体重を乗せてやらなくてはいけない。

あるいは反対に、どこにも体重を乗せないで、石から石へと目まぐるしく渡り歩いている人がいる。きっと、そういう人には二つの種類がいるだろう。すべてに不満な人と、すべてに惹かれて目移りしてしまう人だ。

どの石にも納得できない気持ちはわかる。どの石にもリスクはある。すっかり好きになれる人間関係はないし、将来の不安のないキャリアもないし、めんどくさい面がない趣味もない。だからどこにも属さない者になるためにひょいひょいと飛び移り続けたくなる。けれど、それでもどこかにちゃんとコミットするべきだ。運命の人、運命の職業、運命の住処、そういうものは存在しない。間違った選択はある。飛び移るべきでない石はある。だから感覚を研ぎ澄ませて見極めなくてはいけない。だからといって100点満点の石を探す態度は、自分の人生への責任放棄だ。自分の人生を外部に依存させている。あなたの人生は、他者がすべてを規定するものではない。むしろあなたが他者といかに関わるかによって規定されるのだ。どの石があなたを幸せにするかじゃなくて、あなたがいかに自分を幸せにするかを考えなくてはいけない。だから、ちゃんと自分で決断して、自分の体重を乗せるのだ。

あるいは全部が魅力的な気持ちもわかる。だから全部を試してみたくて、それであっちへこっちへ渡り歩きたくなる。でも、それではなにもほんとうに経験することはできないのだ。ちゃんとそこに体重を預けてみて、自分の存在をしっかりその石に乗せることで、はじめて石と対話することができるのだ。こちらから信頼してやらないと、こちらから自分の時間と人生をコミットする意思を見せないと、他人も、コミュニティも、ほんとうの意味で受け入れてくれることはない。すぐに裏切りますよ、すぐによそに行きますよ、あなたは私にとって取るに足らない一人なんですよ、だって私には他にもたくさんの人がいるからね。そんな態度は舐めすぎだ。コミットメントなしに、リターンを求めてはいけない。

いま、あなたはどこに体重を乗せているか?