二世帯住宅はやめておけ

私の実家は二世帯住宅だった。その時の経験から言うと、二世帯住宅はぜったいにやめるべきだ。

このことは近年すでに言われていることのようだ。二世帯住宅は過去の考え方で、ものの本によると「スープの冷めない距離」なるものがよいらしい。すなわち、徒歩数分くらいの距離で別に住むべきだということだ。

結婚したら、もう「親に対しての子」という立場は手放さなくてはいけないのだ。少なくとも優先順位は下げなくてはいけない。あなたはもう息子や娘であるより、妻や夫であり、かつ子どもがいるなら父や母であるのだ。この優先順位は絶対に逆転させてはいけない。たとえ自分の親にたくさん介護の手がかかるようになっても、そのことを肝に命じなければならない。

そして、配偶者に自分の親の世話をさせるなんてあまりにばかげている。他人同士の関係ではないか。肉親であっても介護なんてやっていられないのに、どうしてただの他人の世話ができよう? ナンセンスの一言に尽きる。

介護はつらい。なぜつらいかというと、出口が見えないから。出口は死しかないから。早く死んでほしい、そう願う気持ちは決して口に出せない。介護は家族の関係を壊す。なぜならぜったいに家族の間で温度差ができるから。これを経験したとき、私は孫の立場だったから気楽ではあった。でも、これをより近い立場でやりたいとは思わない。どの位置にいても、つらいだけだ。

二世帯住宅だと、24時間365日介護から解放されない。呼び出しブザーなんかつけてしまったものだから、いつ何時それが鳴って呼び出されるかわからない。1回目、2回目、3回目、そのころはまだ笑っていられる。でも、500回目でも、まだ平気だろうか? そう考えると数分で行けてしまうスープの冷めない距離とやらですら近すぎる気がしてくる。1時間くらい離れていたほうがいいのではないか。

そもそも、なぜ親の介護なんてしなくてはいけないのだろうか。いや、したくなるものなのか? 今の時点ではそんなこと思わないが、実際親が介護が必要になったらしようと思うのだろうか。あるいは、せざるを得ないのか。しかし介護を外注するくらいの金はあったはずなのに、どうしてそっちを選ばなかったのだろうか。こんなことを思う私は冷血な人間なのだろうか。

家庭の問題について語り出すときりがない。別に私は虐待されたとかそういうのではないが、でもやはり自分の家庭や周りの人たちを見ていて思うことはいろいろある。その中でも最大のものは、やはり親離れ子離れができていないケースが多すぎるという問題だと思う。特に母親とべったりになってしまう問題が多いのは、女性が出産育児とともに職場を離れざるを得ないというジェンダーロールの問題と地続きだろう。そうすると人間関係が狭まり、かつ固定されてしまう。職場だったらうまくいかなかったら転職すればいいが、専業主婦のママ友みたいなつながりは単に狭いだけでなく、いったんうまくいかないことがあったときに切り替える手段がないから、そうするとどこまでも孤立してしまう。昔からの友人だってずいぶん疎遠になっているだろうし、相手も家族を持ったりして忙しいだろう。結果として、母と子がどこまでも融合してしまう。

祖父母が亡くなったとき、私は別に悲しく感じなかったことが思い起こされる。なぜだろう。全員長生きしたからだろうか。それとも、介護の手伝いにもううんざりしていたからだろうか。いつもは冷静に見えた両親が、ずいぶんと周りが見えなくなっていた。父方のほうが介護を要したときは、私の父親がそっちにすっかり入れ込んでいるのを母親と私は醒めた目で見ていた。でも、そのあとに母方のほうが同様になったときは、今度は私は父と一緒に冷静さを失った母を見ていた。やっぱり、家族は他人のはじまりだ。家族という単位を、私はあまり信用しない。情なんて、もろいものだ。

だから、家族という単位で親世代を支えようと考えるのは間違っている。二世帯住宅なんて、やめておけ。