空隙を埋めるもの

森で大きな木が倒れたとき、樹冠に空隙ができ、そこから日光が地上に届くようになる。普段は地上から苗木が育つことは難しいが、そのときだけは別だ。そういうとき、どんな木が空隙を埋めるかは大事なことだ。だって、それは貴重なチャンスだから。とりあえずなんでもいいから埋めればいいわけではない。将来長くにわたって森の生態系に影響がある。

人生も、これと同じだと思う。人生で大きな空隙ができる機会はときどきある。卒業、退職、離別や死去。そういう機会で、あなたの心の中や生活の中にぽっかりと隙間ができる。友達や、家族や、仕事や、あるいはペット、そういうだれか、なにかが占めていた場所に。あるいは人によっては毎週楽しみにしていたテレビ番組や連載の漫画が終わってしまっても同じ感覚を受けるかもしれない。

そういうとき、わたしたちは安易に空隙を埋めようとする。真空の空間が近くのものを何でもかんでも吸い込むのに似ている。だけれど、たぶん、そのときほどわたしたちは一番気をつけなくてはいけないのだと思う。安易に他人の存在で寂しさを紛らわそうとしたり、コンテンツの消費で充足しようとしたり。刹那的な気持ちで気軽に手を出す気持ちはよくわかる。だけど、そうやって一度空隙を埋めてしまったら、そう簡単には入れ替えることはできないことを忘れないでほしい。隙間ができるのは貴重な、大事なチャンスだ。都市の再開発をする千載一遇の機会みたいなものだ。駅前の一等地に広大な空き地ができる機会はめったにないではないか。

どうか安易に埋めようとしないでほしいと思う。空虚感がつらいのは、単に空洞に空気が詰まっているからではなくて、その空洞が真空で、内側に向かって崩れ落ちようとする力がかかるからだ。だから、その場しのぎの詰め物は、この先のあなたの人生のためにならない。心をしっかり保って、空隙を見つめて、そこにこれから詰めるべきものをよく考えてほしいと思う。「自分を大切にしなさい」と表現することもできるし、「安易に走るのではない、甘えるな」と表現しても同じことだ。それはあなたの人生に長く長く影響することとなるから。一度埋めてしまうと、取り返しがつかないから。