書く意味

こんなところで何を綴っても、すべてがひどく自明なことでしかないのではないか。

これが情報量のある文章なら違う。役に立つ話でも、何かのストーリーでもなんでもよいが、とにかく知らなかったものを伝えるなら意味がある。でも、日常的な話題について日常的なことをつらつらと書くことに、何の意味があるのだろう。

ここで伝えようとすることを理解しない人がいることは想定できる。でも、そういう人がわかるようになる書きかたはしていない。すでにわかっている人に対して、すでにわかっていることを伝えているだけに過ぎないのではないか。そうすることに意味はあるか。「共感」を相互に得られる効果はあるかもしれない。しかしそれが何になるか。

もっとも、明日の自分は他人みたいなもので、いま自明なことであってもちゃんとまとめておくことは、将来の自分のためにはなる。一年もしたら、すっかりどんな思考をたどったかは忘れていて、思い出すことは不可能だけれど、他者に伝えるつもりで書いてあれば、たとえすでにわかっている人だけにしか伝わらない程度の親切さであったとしても、将来の自分に伝えるには足りるだろう。個別の思考は忘れていても、その基盤はそれほど変わらないから。

その延長で、明日の自分にとって多少なりとも読む価値のあることを書き連ねておけば、すなわち他人にもいくらかの価値はあるのだろう。すでに考えたことを思い出させるだけだとしても、それはそれでいいのだろう。だって、人は忘れる生き物だから。

でも本当は、やっぱり人に影響を与えたい。読んだら、もう元には戻れないような文章を書きたい。そんなものは古今東西見渡してみてもあまりないから、とてもむずかしいことであることはわかるけれど。