労働・人生・長老

世の中には、高給の仕事をしている人たちがいる。放っておいてもお金が転がり込んでくる資産家の話ではない。労働者階級でたくさん稼いでいる人たちのことだ。コンサルとか、金融とか、そういうやつ。

そういう仕事には、どんな価値があるのだろうか?

そういう仕事に就く人たちは、主には稼ぎがいいからしているのだろう。あるいは経歴としても強いから将来の転職とか開業にも向いているのかもしれないけど、かと言ってはっきりした夢を挙げられる人はあまりいないように思う。社会的にも、こういう仕事が特に価値を生み出すものにはとても思われない。経済学のモデルに基づけば稼ぎがいいならすなわち社会的価値があるのだろうが、それが成り立ちそうには到底見えない。経済学なんてそんなものだ。

じゃあ、そういう仕事から高給を抜いたら、何も価値はないということになる。ずいぶん悲しいことだ。世の中の特に優秀な人ですら、結局稼ぎのためだけに、たまにやってくる余暇のためだけに、空虚な消費をするためだけに、人生の限られた時間を費やし、そして老いていく。その生き方は、もうすでに死んでいるようなものではないか。

こんなことを考えるのはどうしようもなく青くて、世間的には10代のうちに済ませておくべきことであることはわかる。大人になるというのは、自分で生計を立てなければならない現実と向き合うことだ。けれど、そうやって持ち出す「現実」とか「大人」は、人生について考えることを放棄するための言い訳でしかないこともまた事実だと思う。意味のある人生を生きようとする試みから逃げ出した自分を正当化するために、「それが大人になるということだ」と後付けする。そうしないことは子どもっぽい態度だと嘲る。だって、そういうことにしておかないと、一回しかない人生の時間を金という紙切れのために捧げている自分の人生を直視できないから。つまりただの認知的不協和だ。当人たちがそれを望んだというよりも、資本主義の弊害であり、人間疎外の一環であると捉えるべきだろう。

そういう人生、きっと後悔するのではないだろうか。あなたが80歳や90歳になって、何を思うだろうか。それでも後悔しない生き方だったなら、ぜひ教えてほしい。そうしたらあなたの人生を参考にして生きようと思うから。

けっきょく、みんなどうしようもなく子どもなのだ。30代、40代、あるいは50代でも、まだまだ人生の途中だ。大人のふりなんかしても、その実はしばらく労働してみてイキっているだけのガキンチョではないか。生きること、死ぬことについて何も知らないではないか。それなのに人生について何かを知ったような口を聞くのは笑ってしまうほどこっけいだ。

つまるところ、昨今の世の中の問題は、長老がいなくなってしまったことだ。達観した目線から若者に助言を授ける存在がいない。医療によって寿命が延びてしまったことで、寿命に近い世代は認知症や様々な疾病を抱えていて参考にしようにもできない。そしてもっと重要なことに、急速に変化する社会の中で、何十年も昔の知恵は役に立たなくなってしまった。それによって「長老」の権威は「ボケ老人」まで失墜し、代わって壮年期の世代が大人の代表として権威を持つようになった。しかし、その世代はまだ人生を語ることなどできない。近視眼的なことばかり放言し、それが本当に良い人生を実現するのか知ることはない。そうして若者は行き止まりへと導かれる。