かける言葉

死にたがっている人と関わることが何回かあった。その誰も死んでいないし、実際どのくらい死ぬことに近かったのかはわからない。別にそれを知りたいわけでもない。ただ、少なくともその時点では、かなり危険でどうにかしなくてはいけない状況であるように思えた。

けれど、そこで気づかされたのは、私にはそこで発する言葉が何一つないことだった。世間にはあまりに安易な言葉が多い。だれであれ悩み抜いた先でしか選択肢に入ってこない選択であることは間違いないわけで、浅い言葉をかけるのは想像力が絶望的に不足している。何日、何週間、何ヶ月、何年と悩み抜いた先に見出そうとしている結論を、他人があっさり否定することなんてできるわけがない。


がんばって、なんて言えない。あたりまえじゃないか。

わかるよ、なんて言えない。だって、わかるわけないもの。目の前にいても、あなたが見る世界を何一つ私は見ていないことくらい知っている。

そばにいるよ、なんて言えない。だって、そんなことできないもの。そんな無責任なことは言えない。

きっといいことあるよ、なんて言えない。だって、そんなことわからないじゃん。今まであったいいことも悪いこともひっくるめて今そこにいるあなたに、そんなでたらめなことは言えない。

周りが悲しむよ、なんて言えない。一番悲しいのはあなただってわかっているから。

もう一日だけでも、なんて言えない。そうやって毎日を過ごしてきたであろうあなたに。次こそ宝くじ買えば当たるかもしれない、と言うのと同じではないか。


考えてみると、そこでかける言葉がないのはあたりまえなのかもしれない。神様ですら、何も言ってやれないのだ。だからタブーなのだ。人の子の身にして、そこで何ができるだろうか。