試みてはならない

これまで、連絡のつかなくなる人たちに悩まされてきた。一緒に何かをするとき、しばらく順調に進むのに、肝心なときに連絡が取れなくなる。しばらくしてしれっと現れて、ごめんと言ってくる。これからはちゃんと返事するようにしてね、と言って許す。でも、こういう行動は直らない。びっくりするほど直らない。連絡手段を変えても直らない。誰かを経由して間接的に連絡をしようとしてもつながらない。そうしてまた、面倒をかけられる。あるいは単なる友人関係でも、急に連絡がつかなくなってとても心配させられる。散々連絡を試みても応答がなくて、でもいずれしれっと戻ってくる。

こういう行動パターンは単純な怠惰やうつ的症状が原因なのだと思っていた。そういうケースもあるだろうが、でもどうも違うタイプのケースがあることに気づいた。連絡の断ち方が妙にうまくできすぎているのだ。

きっとそれは、試し行動なのだ。肝心なとき「なのに」連絡がつかなくなるのではない。肝心なとき「だから」連絡がつかなくなるのだ。心配をかける「のに」連絡がつかなくなるのでもない。心配をかける「から」連絡がつかなくなるのだ。周りが困ることや心配することはわかっているのだ。その上で消息を絶って、長期間にわたって反応を見せない。その間に気にかける連絡がたくさん舞い込み、それでもって安心する。あるいは戻って来てから、迷惑をかけたにもかかわらず許されることに安心する。

人を試してはならない、というのは重大な戒律だ。人を試すことは、悪意をもって害することに等しい。他人の感情的エネルギーを吸い取って我が物とする行為、感情の泥棒だ。成長期の子どもが親にするならよいだろう。しかし大人が他人にやってよいことではない。

他人を試そうとする人はしばしばいる。よくあるのは、親密な関係において愛着を確認しようと、あえて見放されうることをして、それでも愛されていることで安心する、というものだ。わざと浮気する、とかいうやつだ。こうした行為の影響範囲はごく限られる。そういう人とは端的に親密な付き合いをしなければよい。しかし上に書いたような試し行動はそこまで親密でなくても影響を受けてしまう。早く気づくべきだった。連絡の不徹底を説教しても意味がないのだ。あるいは普段からもっと気にかけるようにしても意味がないのだ。もっと根本的なところに原因があることに気づかなければならない。他人の身でできる解決策は、たぶんないだろう。残念ながら、こういう人たちとはなるべく関わらないように、自分の感情を投資しないようにするのが唯一の付き合い方だと思う。