本気を出すこと

本気を出さない人がいる。そういう人は、だいたい忙しいふりをしている。いや、本当に忙しいのだろう。他のことが忙しいと言えば、ごまかせることを知っているのだろう。でも、本当は本気を出すのが怖いのだ。ある一つのことに全力で取り組んで、それが評価されなくて、報われなかったら怖いから。そういう生き方はいけない。傷つくことを恐れてはいけない。

本気でぶつかりなさい。もう言い訳ができないように。

最初から傷つくことを拒絶することは、強さではない。それは弱さだ。打たれ強くあることは、逃げることとは違う。たくさん血を流さなくてはいけない。そしてまた立ち上がるのだ。血まみれになっても、一矢報いなくてはいけない。そのためには、逃げ腰になってはいけない。言い訳だけ上達して何になろうというのか?

自らのださいところ、苦手なところ、及ばないところ、バカなところ、しょうもないところ、それを隠そうとしてはいけない。それは成長から遠ざかることだ。自らの仕事に自分の一部を注ぎ込むくらいがんばらなくてはいけない。少なくともその時点では納得のいくできばえにすること。後から見たらしょぼくてもいい。それは成長の証。なのに、はなから納得いくまで完成させず、最初から自虐して、最初から言い訳して、最初から謝って、それじゃあどうしようもない。

本気を出して、限界まで完成度を高めなさい。もし手を抜くことが要領の良さで、それが賢い生き抜き方だと勘違いしているなら、一生かかっても小賢しい人間にしかなれない。そんな人間としてあなたは死にたいのか、それとも一筋の光を放つ人間として死にたいのか。