局所最適から外れる勇気

昔、タッチタイピングができなかった。それはそうだ。できる人はどこかで覚えたからできるのだから。でもタイピングはそれほど遅くなかった。キーボードを見ながら、数本の指を使いながら、まあまあすばやくタイピングができた。でもやはりタッチタイピングは習得したほうがいいと思って練習し始めた。はじめはいっぺんにタイピングが遅くなった。慣れないことをしているから。でもやがて速くなってきて、いまではもう比べ物にならないほど速く、そして当然のようにタッチタイピングができるようになった。たぶんこれはけっこう多くの人が経験していると思う。

そして、こういう経験は一般化してやることが大切だ。つまり、いままでやっていたことは最適解から遠いかもしれないのだ。しかも改善するためには一度大きく山を降りないといけない。けれど向こうに見える山には雲がかかっていて高いか低いかわからない。

こういうとき、線形な成長しかイメージできないともう行き止まりだ。あるいはおっかなびっくり少しだけ試してみても、山を降りる区間がけっこうあるからそこで見切ってしまう。ずっと自己流の二本指タイピングみたいなことをしている。きっとそうやって、はじめに登り始めた局所解の山を登りつめたらおしまいというのが、ほとんどの人の人生の生き方なのだと思う。最適解の探索は容易ではない。

だからあえて山を降りなくてはいけない。なんだかんだいって人生は長い。いったんいまいる場所から下降してでも、より高い頂を探す価値はある。生活のさまざまな場面で、当たりまえだと思っていたことを見なおさなくてはいけない。通勤の交通手段を変えてみよう。あるいはせめて、駅まで歩く道を変えてみよう。メモのとり方を変えてみよう。スーパーでいままで買ったことのない野菜を買ってみよう。そしてたぶん一番大事なのは、ふるまいや人との接し方を変えてみることだろう。声のトーンや大きさ、言葉遣い、歩き方。そういう染み付いたものを、あえて変えてみよう。うまくいかなくてもいい。そういう結果が得られたなら上出来だ。

ただ、どこで見切るかは考えなくてはいけない。やみくもにあちこちへ向かっていたらそれはそれで人生の改善にはなかなか近づけない。そういうときは、たぶんものの本を参考にするとよいのだろう。中身の薄っぺらい自己啓発本は好きじゃないが、古典を中心にして中には悪くないものもあるように思う。そういうものを手本にしてみたら、頂を探すための地図になるかもしれない。そんなに当てになる地図ではないけれど、ないよりはいいだろう。けっきょく、こういう自己啓発本の内容はどれもたいして代わり映えしないから、意味があるかどうかは強い意志を持ってきっちりやるかどうかにかかっているのだと思う。

けっきょく、日々の生活は実験なのだ。毎日何か一つ、いままでと違うことに挑戦してみよう。まったくはじめてのことでなくてもいい。ただいままでうまくできなかったり、なぜか避けていたようなことに。そうやって、単調な日々にとらわれる受け身の自分ではなく、たとえ小さなことでも日々の生活をコントロールする主体性を持とう。

さあ、明日は何をしよう。日常に、ささやかな独創性と遊び心を。