年齢を重ねること(2):老いることで失うもの

前回の記事ではおっさんになることについて、それがこわいということを書いた。今回はさらにその先、老齢になることについて考えてみる。老齢では、何を失うのだろうか。人は、どうやって老い、死んでいけばいいのだろうか。まだ早すぎる心配かもしれない。けれど、あまりにこういったことを考えている人が少ないように感じてしまう。あるいは、現実的にちかづいてきたら考えたくなくなるのかもしれない。だから、いまのうちに思索を巡らしておこうと思う。

1. 単純に身体的キャパシティを失う

これは当たり前のようだが、実感するまではなかなか分かりにくいものだと思う。以前、大自然の中でフィールドワークをしたとき、まだ若いにもかかわらず体力のない私は、ただそれだけで行動範囲が制約された。地図にはあって、他の人は行けるのに、私の世界にはそこは存在しないのだ。それは、どうしようもなく切なかった。

世界の大きさは、自己の身体的能力の限界によって規定されるのだ。大事なことだからもう一度言う。身体が衰弱すれば、すなわち世界が小さくなるのだ。いまはいつか行きたいなという思いとともにアフリカに思いを馳せることができるし、北海道旅行はもっと現実的な可能性として計画を立てることができ、週末にふらっと日帰り旅行なんて簡単だ。テレビで、ネットで、どこかの場所のおいしい食べ物について宣伝を見たとき、若いうちなら、実際には行かないとしても行くことを現実的に生じ得るシナリオとして考えることができる。

ところが身体的能力が低下してくるとどうなるか。もう、異国の地に旅することは叶わないのだ。もう、沖縄に旅行することだってできないかもしれない。どこか近場で、と思っても、誰かの助けがないと行くことができない。あるいはそもそも、寝たきりや車椅子では今まで簡単に行けていた場所にすら、行くことができない。選択肢が、自分の世界が、不可逆的に縮小し、もう二度と手が届かないものになってしまう喪失感は、いったいどれほどのものか。実際にそれだけ選択肢を失う前の段階でも、身体能力が右肩下がりになり始めた段階から、もうこのことは常に意識せざるを得ないだろう。

2. 自己の人格の一部を失う

個人の人格、あるいはアイデンティティは、他者との関係のもとに成り立つものだ。「自分が他者にこう見せる」と、「他者が自分をこう見ている」は相互作用の関係にある。悪ガキな自分、礼儀正しい新入社員な自分、面倒見のいい先輩の自分、そうやって他者から期待されるキャラが、自分の一部なのだ。

ところが、年齢を重ねていくと、自分とともに人生を生きてきた人たちが、一人、また一人と先に旅立ってしまう。そうすると、あなたは人格の一部を失ってしまう。「その人に見られていたあなた」は永遠に戻ってこない。草野球に明け暮れた中学時代を知る同級生がみなあの世に行ってしまえば、もうそのあなたは存在しなくなる。もう会うことがなくても、生きていてくれて、手紙でもやりとりしていれば、野球の思い出を話さなくても、あなたはきっとその相手が野球の記憶とともにあなたを見ていると信じることができる。たとえそれが間違っていたとしても、関係のないことだ。

そのうちに、どんどん自分の世界が失われていく。もうどこにも行くことはできないから、せめて思い出の世界に浸ろうとしても、その思い出を共有した人たちがどんどんいなくなっていく。その悲しみは、どれほど深いのだろう。

3. 自分への信頼を失う

そしてたぶん一番つらいのがこれだろう。自分のことが信じられなくなってしまう。自分の記憶、自分の判断、自分のすべてが、信用できなくなってしまう。特に認知症の場合に顕著だ。

自分がご飯を食べていないと思ったら、実は食べていた。薬を飲んだと思ったら、実は飲んでいなかった。はじめましての人が現れたと思ったら、実は自分の肉親だった。そんなとき、間違えるたびに、相手が怪訝な顔をする。口には出さなくても、一瞬表情が曇る。そして相手の対応がだんだん小さな子どもへのそれになってくる。そうやって、自分の正しいと思ったことが、客観的にはどうしようもなく間違っているということが繰り返される。たとえ昨日食べたものは忘れても、そういう悲しみはだんだん覚えてしまう。そして、自分が間違っていることを前提に物事を考えなくてはいけなくなる。これは最悪の呪いだ。そんなこと、いったいぜんたいどうしたらできるのだろうか? 我思う、ゆえに……? 自分の理性が信じられないなら、何一つ意味のある結論にはたどり着けない。それは、根本的に世界が逆さまになることだ。これはいままで味わったこともないほどのストレスに違いない。性格が変わったり、キレたりするのもしょうがないくらいだと思う。

こうして考えると、老いるのはつらいことに思える。老いながら、それでも心に平静を保つことはできるのだろうか。どうやったら、人間の尊厳を保ちながら老い、そして死んでいくことができるのだろうか。そのためには、若いうちにどうしておくべきなのだろうか。それはまだ、わからない。