よき隣人であること:寮生活で学んだこと

大学生時代に寮で暮らしていたことがある。汚い寮だったけど、それも含めて今ではいい思い出だ。

「寮で出会った人がいまでは一番仲のよい友達」みたいな言葉をよく聞く。そう言う当人には本当にそうなのだろう。でも、自分には違った。寮生活というのは根本的に「最高の仲間」的な人間関係を作るものではないと思った。むしろ、寮生活はお互いの汚いところを見ざるを得ない関係。寮を出た後にも続くかどうかは重要ではない。寮に住まなくても、その人とならきっと長続きする関係になっていたかもしれないし。

そうではなくて、「寮を出たらもう二度と会わない」と思う人とも一緒に暮らしていかなければならないことにこそ、寮生活の特別な価値がある。折り合いをつけること、ときに折り合いをつけきれないこと、そのなかでなんとか破綻させずやっていく経験をすること。うまくいくだけの寮生活だったら、別に経験しなくてもよかった。うまくいかないばかりではさすがに辛いけど、ある程度は摩擦があって、自分の生活の仕方が唯一のものではないと認識しないといけない。

共に暮らす理由は、その人たちと暮らすことが楽しいから? いい人たちだから? そうすることが自分の得になるから? だいたいのときはそういう心構えでよい。実際、楽しいから。でも、ときには嫌いになることもあるし、楽しくないときもあるし、時間の無駄だと感じることもある。いい人を愛するのは簡単、人のよい面と付き合うのは簡単。でも、いい人じゃなくても、人の悪い面が出てきてしまっても、それでもどうにかやっていくしかないのが寮生活。共に暮らす理由は、共に暮らしたいからではない。ただ、共に暮らさなければならないから暮らしているだけ。それはお世辞にもキラキラした日々ではない。そういう非現実的な美辞麗句がいかに虚飾にまみれているかを知る日々。生きること、そのむき出しの生臭さにむせる日々。非日常ではなくて、つまらない日常。

生きていればときには騒がしくもするし、散らかすし、迷惑をかける。そういう面に目を向けずに、きれいな面だけを強調することは欺瞞でしかない。家族のもとでもうまくいかないこともあったはずなのに、どうして他人はきれいなものだという望みのない期待をかけ、その期待が外れて勝手にがっかりするのかな。ばかじゃないの。

けっきょく、これは寮だけじゃない。自分の好きなように生きる環境をコントロールしたい人間は、人間として生きるのに向いていない。同棲や結婚したらけんかばかり。友達と仲違いしたらさようなら。SNSに合わない人がいるならブロック。知らない人とは関わらない。自分の生活を独裁したいという欲望にとらわれ、そうする権利があると思い込んでいる。寛容で多様な社会を支持するとか口では言いながら、自分の私的生活では排外主義者。NIMBY。自分と他人の国境線に壁を建設したがっていて、しかもその建設費は社会が払ってくれると信じてやまない。ちがう。ぜんぜんちがう。生きるということは必然的に影響を及ぼし、及ぼされること。相手がときに嫌なやつであり、自分もときに同じくらい嫌なやつであること。それでも一緒に生きること。そこに選択肢はない。自分の家族だって、自分の子どもだって、自分の望むように振舞ってはくれない。いわんや他人をや。ファッション寛容主義なら捨ててしまえ。どうせきみはすぐに排外的になる。

だから若いときに他人と影響を及ぼしあって、どこが限界かがわかって、そのときようやく他者との共存に必要な線が見えてくる。寝起きのけだるさ、疲れて帰ってきた夕方、試験勉強に追われる夜、あるいはゲームに興じる夜。そんな生活の場を共有すること。そこで楽しい時もつらい時も共有すること、そして時には共有できないこと。自分がまだ試験があるのに、もう休みになって浮かれているやつらにいらつくこと。春が芽吹き、夏が訪れ、秋が過ぎ去り、冬に包まれる。流れる月日を共に経験することは、紆余曲折を経ること。うまくいくときと、うまくいかないときを味わうこと。そうやって、人は作られる。

そして学べるでしょう。自分の長所と短所が。自分の生活スタイルが。そして友達になれる人間と、一緒に住める人間はちがうってことが。いい友達になれても、一緒に住むのは無理だったり、こいつとは友達でもなんでもないけど、でも一緒に住む関係にはなれたりする。恋人と結婚相手はちがうというのと一緒かもしれない。結婚したことないからわからないけれど。

共同生活での学びと成長には「いま学んだ!」みたいな瞬間はない。そんなもの、あるいはそんなものは、どこにもないのではないか。あなたがもっとも急速に成長していた子どものころ、そうやって学んでいたわけではないだろうに。そうじゃなくて、地下で木の根が伸びるように、自分の中で「あたりまえ」だと思う範囲がじわじわと拡張されていく。少しずついままでは受け入れられなかったことが受け入れられるようになる。気づかない間に人に影響されていく。そういうのが本当の変容だ。

いっぺん寮生活は経験すべきものだと思う。アパートみたいのじゃなくて、実際に生活を共有する寮生活。べつにそんなにうまくできなくてもいい。「汝の隣人を愛しなさい」とキリストが言ったのは、きっとそれがひどくむずかしくて、みんなできないから。