私は学校に行かなかった

私の一人暮らしのアパートは、小学校のすぐ裏にある。朝になると、子どもたちのはしゃぎ回る声が聞こえる。おはようございますと挨拶しているのは、校門に先生が立っているからなのだろうか。しばらくすると、校長が何かマイクでしゃべり始める。よく聞き取れないが、どんなことを話しているのだろうか。そしてときには児童が司会を務めて行事をしている。先日は、クラスの七夕のお願いを発表するという趣旨だったようだ。司会の児童の進行に従って、クラスの代表らしき児童が一人ずつマイクを持ち、お願いを読み上げる。聞こえてくる。「みんな」、「一緒に」、「なかよく」、「友達」、そんな言葉を並べ立てたお願いが響き渡る。ある児童は元気よく、ある児童は少し緊張しているのが声でわかる。ああ、学校だ。聞いていると、胃袋に手を突っ込まれてかき回されているような気持ち悪さを覚えてくる。

私は学校に行かなかった。

もう少し正確に言えば、小学校一年生の途中で行かなくなった。あるいは、行けなくなった。それから、大学より前の段階で、世間的に見てふつうの学校で教育を受けることは二度となかった。不登校の児童・生徒のための支援施設なども、そんなに行ったわけではなかった。特に学校に行かなくなってからの10年間くらいは、精神を病んで人としゃべることができなかったから。そこからどうにか抜け出すまでに、世の中の人が学校教育を受ける期間はもう終わっていた。

いじめられたとか、そういうことではなかった気がするけど、学校は嫌いだ。もう記憶がほとんどない。たぶん最初はそんなに嫌いじゃなかった。でも、行かなくなってから、どんどん学校が嫌いになった。怖くなった。あるいはもともと心から好きではなかったのかもしれない。そして、そもそも好きになれるような存在ではないのだと思う。

この世の中で、刑務所が好きって人はどのくらいいるのだろうか。そもそも刑務所なんて入ったことがないから立場を定めようがないかもしれない。でも、知らなくたって好きじゃないでしょう。あるいは入ったことがある人で好きだって人はいるのだろうか。たぶん、少ない。

なのになんで、だいたいの人々は学校のことが大好きなのだろう。教えてほしい。刑務所とどう違うのか。私は刑務所も知らないし、学校も知らないから。どうしてあなたは、そんなに嬉々として小学校の記憶を語れるのですか。私には本当にわからない。いや、わかる気もする。きっと、私も学校に行っていたら、学校大好き人間になっていたのだろう。そんな自分は想像したくもない。

世の中の人は、学校が人を作ると思っている節がある。ヒトを、人に変える場所だと思っている。学校に行かなければ、ケダモノの仲間でしかなくて、理性を行使できず、社会で共生できないと思っている。学校に行っていない者に向けられる目は、脱獄者に向けられる目と同じだ。どちらも、社会で暮らすための「矯正」を受けていないから。学齢期の子どもの身で平日の昼間に外を歩くと、あんなにも居心地が悪いことも納得がいく。なんたってあのバツの悪さと不安感は脱獄者が感じるそれと同じなのだから。学校に行かなかった私は、「人」であれないのだろうか。くだらない。

この十字架は、学齢期を過ぎても下ろすことができない。口が裂けても「日光に行ったことない」とか言えない。だって「修学旅行で行かなかったの?」って怪訝そうに問われるのが目に見えているから。そう、修学旅行。私は一回も経験したことのないもの。会話がそういう話題になったときの私の戦慄は、誰にもわかってもらえない。「どこ行ったの?」って聞かれたときのために、広島の観光スポットをわざわざ調べておいて架空の修学旅行をでっち上げた私の気持ちは、誰にもわかってもらえない。すぐに他の人が「私も広島行った!」と割り込んできて会話を持って行ってくれたときの安堵感も、誰も気づいてくれるわけもない。そして彼/彼女が「それで広島行ったときにね、……」と思い出話を始めたとき、その人はうそのストーリーを作る苦労もなく、本当の思い出を持っていることを自分と対比したとき、あまりにみじめで涙を流しそうになる。トイレにいく振りをして席を離れたとき、ただのたわいもない思い出話が、私の心の中をそんなにもつめたくしたことなんて誰も察してくれるはずもない。

そうやって、日常会話が自分にとって地雷原なことに、もはや慣れ始めてしまった。運動会の話、給食の話、教科書の話、制服の話、部活の話、先生の話、クラスメイトの話、初恋の話、放課後の遊びの話、家で遊んだゲームの話、その頃流行った漫画やアニメの話。ぜんぶ、ぜんぶ地雷だ。人と話していても、テレビを見ていても、本を読んでいても、しょっちゅう踏み抜いて心で血を流して、でも何事もなかった振りをすることに慣れてきてしまった。

……いや、そうでもないかもしれない。そろそろ勘弁してほしい。ちょっと、つらくなってきてしまった。海外にでも、逃げ出そうかな。